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なんでもそうだが目的は1つではない。
オーバーラップするものもあるだろうし、転化することもある。
1つは公開もしているソフトウェアで、もう1つは公開するソフトウェアだ。
前者は良くわかる。なぜなら僕が公開しているのはこっちだからだ。
自分の必要のために作る。作ったものは自分で使った時点で元は取れている。あとは捨てても良いかも知れないが、ある程度の時間も使えば知恵も使っているわけだし、また自分の役にたってるということは、もしかしたら別の誰かの役にも立つかも。というわけで公開しておく。お裾分けウェアだ。
後者は、さらに幾つかに分かれるだろう。1つは前者に近いかも知れないが規模のでかさが見えているから1人でやるにはちょっと無理があるかも知れないというようなやつ。Linuxの最初のころはそんな感じじゃないかな。それから、(別の意味に取られかねない言い方だとは思うが)マーケティングウェアとでもいうようなタイプ。拡散することに意味があるもの。それはフィードバックの多様さを求めているからで、そのフィードバックから新たな知見を得てそれを糧にしてさらに発展するようなもの(その糧を実際にどのように消費するかはファウンダーの求めるものによって違う)。前者とまったく異なるのは完成するということが基本的にありえないというか、完成を求めていない点だ。それからソフトウェアは媒介に過ぎないもの。GNUなんかはフリーソフトウェアの思想伝導の道具という意味で明らかにこっちだ。商売の道具に考える場合も当然こっちになるだろうな。MySQLとか。
後者のほうでソフトウェアを作っていると、前者のほうの視点が理解できないようなこともあるんじゃなかろうかな、と時々思うことがある。
自分の楽しみのためのソフトウェアというのは、微妙な位置にあるかも。拡散することによって得られる新たな知見を受け取ることは楽しみを増すかも知れないし、多分、完成することはないだろうから(成長させるのもまた楽しいだろうし)、元を取ったからお裾分けなんて感じじゃないだろうな。でも、多分に、拡散にかける熱意は後者ほどはなさそうだから、前者の雰囲気が漂っていたりもするだろう。こういうのにはどんなのがあるかな。
普通、獣は自分が食べる分だけ狩る。食い残した分は食えなくしてしまう。食えなくなる前にハイエナとかは掠め取らなきゃならない。でも熊という動物はちょっと違うらしい。食い残した分を他の動物が食べられるようにきれいに残して置くそうだ。お裾分けウェアは熊のソフトウェアでもある。
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