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見に行った。絵はきれいだ。
しかしあまり楽しくなかった。そこかしこがいい加減だからだ。
突然、丸っこい親分が心変わりしてやってくるところとか、シナリオのいい加減さというのは興をそがれるとは言え、それほどは気にならない。
ドミノ倒しなんかすげーおもしろかった。そう言えば急行列車もそうだけど、あれは子供心をくすぐるな。
子供の頃の印象的なTVCMと言えば、チョコベビーが机の上のギミックをどんどんこなして行くやつだし、数年前のアキュラのフラッシュもそんな感じでおもしろかったし、それを何度も趣向を変えて見せる映画だと考えればむしろおもしろかったと言っても良さそうだ。他にも社長室から転がって行く所とかベルトコンベアで運ばれるところ、最後の逆転のところとか、全編がドミノ倒しだ。
いい加減さが顕著なのが、雨に唄えばのシーンだ。振り付けをどこまで似せたらダメというような規準があってしょうがなくああなっているのならわからないでもない。20世紀フォックスとMGMで違う会社だし。でも脚でバシャンバシャンやってくところは、それまで避けていた水溜りに対して感極まってヤケクソみたくバシャンバシャン始めるから、ジーンケリーの次に何をするかわからない突飛なダンス(そのへんがアステアの風雅で本当に技巧的なダンスと好対照で、そこにこの2人が2枚看板となって、かつ最後に生き残ったのがより映画的なケリーなんじゃないかとか思うのだが)たる所以で、見ていて楽しくて楽しくてしょうがなくなるわけなのだが(それにつけてもMGMは素晴らしい)、そういう感覚がまったく失われている。最後だってケリーは警官がこっちを見てるのに気付いて我に返って踵を返すのだが、オマージュとして挿入するんならそこまでやって踵を返したら待ち伏せしてるのに呑み込まれるとかもっと本家をきちんと使うべきと思う。あのバシャンバシャンが別のシーンで最初から用意されている噴水に行くところがもういい加減な感じなのだ。オイルの雨は降らないから水溜りという状況を作れないかと言えばそんなことは無いだろう。重要なのは水溜りではなく、それまで避けていた場所という点なのだから、浅い深いの対照を噴水に元々つけておいて踊りでその対照を示していれば済むはずだからだ。
そういう場の映画的な説明方法があまりうまくなくて映画としては大しておもしろくなかったと感じたということだ。
それはそれとして、不思議なくらい父親の映画として作られていて、男親が男の子を連れて見に行くというシチュエーションを想定して作ったんじゃないかと思わせるところがアメリカ映画だな。日本映画だと母親なんだけど(とポケモンとかドラエモン――男親もいることはいるが――あたりを想定していたり。後は知らんし)。
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