著作一覧 |
AOPで、関心毎を入れる場所のことをJoin Pointとする派とJoint Pointとする派の2種類があるのか、それとも両者は別概念なのか、それとも本当はJoin Pointなんだけどプログラムで利用するためにJoinpointとしたのを誰かそれなりに影響力がある人が読み間違えてJointpointとしてしまったのか、いったい何が正しいのかな。
教えてえらい人。
追記(9/30):AOP AllianceのJavadocには
joinpoint(in the AOP terminology)という表記がある。
このあたりから、Join Pointが正しい用語と言えると考えることにする(太田@mixiさん、星さん、tsuneさん、ありがとうございます)—なおカタカナでは、ジョインポイントと表記すべきだと思う。
昨日のツッコミにテレビゲームが復刊されても意味あるかなとか書いていて、以前、お宝探偵団で見たエピソードを思い出した。
依頼人は、20年くらい前のかな、どうも名機という言葉がふさわしいらしきワープロだかハンドヘルドコンピュータだかを持ってきた。
ついた値段が-500円。
鑑定人曰く、「工業製品の古いのは産業廃棄物ですから引き取り賃をいただきます」
MacPaintのソースコードは美術館に入ることになったようだが、さて、ソースコードのお宝度というものをちょっと考えてみたり。
たとえば、テレビゲームのどれか、優れた作品がいつかの将来のソフトウェア美術館に入ることになるとして、それは
・グラフィックが評価
・音楽が評価
・ゲームバランスが評価
・敵機の動きが評価
・ギミックが評価
とかになるのかな? それともソースコードが評価されるのか?
映画と同じようなものかも。多くの人たちは、映画ではなく物語や俳優の魅力あるいは音楽を評価する。だから、ジョンフォードの西部劇とか舛田利雄の石原裕次郎ものとかは、ビクターヤングやジョンウェインや石原裕次郎によって評価されている。黄金の馬車がどんなに魅力的でも、感動的な大物語がある大いなる幻影のほうが有名だ。
でも、その理由はわかる。評価するには、評価方法を知っている必要があり、その規準は普通はわからないからだ。嘘だと思ったらとてもチャーミングなコードを書いて街で100人に見せてみよう。それがチャーミングだと正しく評価できる人は間違いなくゼロだろう。
次の時代というのは来るし、来なければならないわけで。
モーツァルトの時代のぎりぎりお尻の頃、やっとベートーヴェンで完成したわけだが、どこかの誰かが礼拝用の音楽を作ったり晩飯用の音楽を作ったり(ディベルティメントはBGMだよ)、演劇に音と唄がついていたり(魔笛とか)という7氏による産業用のものだったものが(でも楽譜が残っていて良かったね)、ベートーヴェンというすごいおっさんが必至に作ったすげぇ(というように固有名詞が全面に出てくる)音楽と本物の産業用の音楽とに分化する(サリバンとかシュトラウスとかは微妙な位置だ)。1970年代くらいに歌謡曲という唄を歌う人だけが見える音楽と、アーティストと呼ばれる自作自演の人の音楽に、大衆音楽が2分化されたり。
ソフトウェア工学は前者の産業用のものを生み出す。基本は自動化になるし、そうじゃなきゃならない。歴史はがらりとは変わらずに同じことを繰り返す。というか、それが産業だ。奴隷が手作業で100人でやっていたものが、3人+機械でどばどばできるようになる。その一方で、後者も生まれるはずだ。そこで生まれなきゃ、それは本当に単なる産業用の製品に過ぎないジャンルだったということだ。
というわけで、とりあえず後者のプログラムを作る人がいてもいいなぁ、と思ってみたり。読んだ人が感動のあまり3日はプログラムがかけなくなるような素晴らしいコードのハーモニー。どうして、こういう発想ができるんだ、と誰もが息をのむ例外処理、しかも高速、コンパクト、でも水晶よりも明晰でまったく無駄がない、でも遊び心にあふれていてしかも優雅。
#でも、VB6で書いてあったり。
とか、そういうプログラムを見てみたい。
ジェズイットを見習え |
「バグりんぼ」?
どちらかというと鉄鍋のシーバン(苦しすぎる)のほうが好きだな。