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もうとにかく最後がマンで終わる言葉であらわされる様子ってのはいやだね。で、必ず似て非なる言葉が対になって出てくる(前者はマンでは終わらないことに注意)。(なんだかんだと弁証法)
で、違います。
このやたらと卑屈な書き方と、それに対する反応を眺めてつい反応してしまったのでした。
で、同時に複数の想念があったわけで、卑屈と謙遜って、自分を下にするってことじゃ同じではあるけれど、誰の目にも違いはわかる。ってのは、卑屈がネガティブな言葉で、それに対して謙遜はポジティブな言葉だとコンセンサスがあるからだよな、だからポジティブな例を目にすることでネガティブなほうとの差に気づけるんだろうなということと、それとは別に、同じようでも傲岸と傲慢ってどっちも他人を下にするってことじゃ同じではあるうえに、卑屈と謙遜と異なってどうもどちらもネガティブな意味になっているようで不思議だな、ということ。傲慢にふるまうのは恥ずかしいことだからそういうことをしないように自らを律するのは結構なことだけど、傲岸なことは少しも悪くはないはずなのに、なぜそうではないのだろうか、という疑問とか。いや、傲岸な態度も悪いことだというコンセンサスがあるのだろうが、それはどうしてなんだろうか? という疑問と言ったほうが良い。
そこで、他者との関係によって決まるのか、自己評価によって決まるのか、という基準を作って判断してみると、卑屈は他者との関係で決まり、謙遜は自己評価で決まる。あることを良く知っていれば知っているほど上には上があることも当然知っている。おのずと謙遜せざるを得ない。というのが自己評価によって取られる態度の謙遜で、相手に対して自分を貶めることで相手の優越感をくすぐって取り入るという卑しい戦略によって取られる態度が卑屈。
同じように基準を置けば、自らが高みにあることを自覚してあたりを超然と睥睨する姿勢を傲岸、相手に対して自分を上に見せるはったりで相手をおびやかして言いなりにさせようという卑しい戦略によって取られる態度が傲慢。
とすれば、見るからに卑屈な書き方ではあるけれど、これっぽっちも卑屈ではなく(もちろん謙遜してるわけでもない)、これを傲岸と言わずしてなんと言おうか。ってことは、これは卑屈ごっこな諧謔なわけだ(もちろんogijunはそれをわかってるから受けてるわけだし、っていうか、読めばわかることをくどくどと解説するのはくだらないけど、おもしろいね、おれが)。で、つくづくと傲岸な野郎だなぁと。
で、それと同時に、でも待てよ、傲岸な野郎だなぁ、とうかつに書いて、最初にあげた傲岸≒傲慢、どっちもネガティブという一面的な見方をされると、それはおれの真意ではないな、と気付いて、傲岸ってのは態度としておれは好きだな、と断りが入り、なぜそう断ったかというと似て全く以て非な(にてまったくもってひな)傲慢とは違うんだよと続いて、全然別のトピックになってしまったのでした。
っていうか、誰かに何かを頼むとき、傲岸なやつなら傲岸なやつほど、自らの矜持にかけても引き受けた責は全うしようとするだろうけど、傲慢なやつには頼んでも無駄じゃん。ってことは、傲岸な野郎というのは、自らをまさに崖っぷち(=岸)に常に置いているわけで、尊敬に値こそすれ嫌悪できるはずもない。謙遜する人も同じで、むしろ限界をわかっているだけに一度引き受けた責はぎりぎりまで全うしようとするだろうけど、卑屈なくずは最初から信用できない。
どちらも信用できて、尊敬にも値する、であれば(謙遜|傲岸)としても良かったんだけど、ではどちらがより望ましいかと言えば、そこは社会通念もあるし、さすがにむかっとすることがありえるほうよりはないほうが良いから、謙遜が傲岸の上(というか、これだけ動詞でちょっと違って、本当の対語が何かは今になってもまだ出てこない)と。
そんな感じ。
手元のK&R第2版の石田訳(ただし1989年の初版)では、P.131の5.6のタイトルは「ポインタ配列:ポインタへのポインタ」となっている。索引を見ると「多重レベルのポインタ」という言葉がP.139として出ていて、用例が「これらの文字列の操作には、多重レベルのポインタがよく使われる」で、確かにポインタへのポインタのことらしい。
でもね、省略するにもセンスってのはある。
おれは、節タイトルにもなっている「ポインタへのポインタ」を省略して「ポインタポインタ」とこれのことを呼ぶ。しかし、どっかの人たちは索引にちょろっと出てくるだけの「多重レベルのポインタ」を「多重ポインタ」と呼ぶ。
ポインタポインタから**を想像するのは簡単だと思う。原語を損なってないぞ。と書いてから、a pointer to pointer を pointer of a pointer とひっくり返した事実を思い出したけど、でも**が導出されることに変わりない。
でも多重レベルのポインタ(これはやっぱり略すのなら多段ポインタだよね。レベルってつまるところ段なんだから)を多重ポインタと略すのはばかだ。
というのは、最初、多重ポインタという変な言葉でおれが想像したのは
// リトルエンディアン int a = 0x41; int* pi = &a; char* pc = (char*)pi; puts(pc);みたいなものだ。aへのポインタを型で多重化してるでしょ。もっと単純な例だとつまりはユニオンのメンバポインタのことだと思った。多重ってのは同じ場所に重ね合わせることだからそういう意味に取るのが素直だ。
どうしてシープラプラといい、多重ポインタといい、Cに関連する言葉はおかしな略語がまかりとおるんだろうか。不思議だ。
#原書は持ってないから想像だが、multiple level pointerを石田さんが「多重レベルのポインタ」と訳したのが間違いの元で、これを「多レベルポインタ」とでも訳していればきっとOKだったんだろう。世の中には言葉の意味を考えずに省略するウィキ(なぜか百科事典の意味らしい)野郎がいるということだ。
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