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コクトーへの賛辞から始まる。 il tait une foisという言葉を愛したコクトーとかなんとか。
アイリスアウト。ギターで唄う男。日本人顔の女。唄いながら上半身を脱がせる。抱擁。
石造りの大きな農家。ギターを背負ってバイクで出発。
遠くにエッフェル塔。左下きわめて低位置に固定したカメラで中心地へ向かう高速道路の疾走シーンにタイトル。ケイコイトーさんでウにアクセンシルコンフレックス、イにアクセングラーブ(だと記憶しているがトレマかも)に。特別出演にマレ。
ここまで、なんだかさっぱりわからんが、千駄ヶ谷に似た雰囲気の広場。でっかな看板にOrpheでオルフェウスとわかる。それでコクトーとギターなのか。バイク通り過ぎる、大量の女たちが追っかけ開始。鉄の柵でできた門の中へ入る。警備員あわてて閉める。柵の向こうに大量の追っかけ。
リハーサル。渡し守に出会ってpourquoi moiと唄う歌、うまくいかず一人残る。突然ギターが火を噴き感電する。舞台に倒れる。壁際のボマージャケットが近づく。おれはカロンだ。ついてこい。パーキングの黒いポルシェ。どんどん下に下りる。出口。チケットを入れる。遮断機が上がる。壁に吸い込まれる。
手違い(保険番号も違う)。ありきたりの契約書にサインして復活。息の根を止めろと姪/妻に指示する四角い顔。芸術家は嫌いだ。
ミキンシング担当(サウンドエンジニアということかな)者の車の中で地獄の話をしかけるがやめる。
ユリディスは仕事場で、Yシャツ+ネクタイ+ゆかたみたいな服で彫刻中。
料理人+家政婦+マネージャ+エンジニア+彫刻家(ユリディス)とオルフェの共同生活らしい。ユリディスから5時ころに死んだと思ったと告げられる。マレの姪から何度も電話がある。留守電を聞く。と、追っかけ、脅迫、などでうんざり。そこに姪からの電話。カフェテアートルで。
カフェテアートル。地下から姪登場。死ぬことを契約しようとして断られる。
ファンクラブの女と会談するユリディス。席が確保されていないことに対して脅迫を受ける。ヘロインを渡される。
オルフェの帰還、けんか、ヘロインをめぐる押収。飛び出すユリディス。
歌を歌う。最高か? 最高とは言えない、とエンジニア。けんかになる。
コンサートは大成功。ユリディスは?
打ち上げ会場で、エンジニアと抱擁を交わす。しかし衝撃を受ける。ユリディスが死んだ。という予感。
静脈注射(左腕に赤い布)。注射器を隠すエンジニア。
葬式。彼女は一番大切な女だった。エンジニアが嫉妬の表情を浮かべる。きみは一番大切な男だ。と、オルフェは機嫌を取る。
カフェへ行くが、様子が異なる。外に出るとカロンの黒いポルシェ(カロンカノンだ)。追っかける。ノートルダムの前の地下駐車場に入る。消える。壁にバイクを走らせる。激突して放り出される。
姪からの電話。モンマルトルの墓地。ユリディスを取り戻す契約。カロンのポルシェで地獄へ。
マレ、契約内容にあきれるが、ユリディスを返す。
地上へ向かう二人。疲れるユリディス。ここで休んでいきましょう。そうは言っても観ることはできない。愛し合うのに目はいらないわ。と、地獄の中にちょうど建ってるラブホテルに入る。で、目隠しをしてセックス。
それを監視カメラで眺めて、マレ、姪に「お前の予想通りだ。あれなら好奇心に耐えかねて見ることになるだろう」
しかし、まったく観ないまま、地上に出る、と甲州街道の新宿−大木戸トンネルそっくりの場所。オルフェ、目隠しをはずす。なんてことを、とユリディス。見ないで歩くのは危険だ。そりゃそうだ。で出口までもう少し。そこに蛇行しながらスポーツカーが近づく。危ない、とユリディスをかばおうとするオルフェ。見てしまった。消失。
ユリディスを想う歌。最高、とエンジニアが評価する。
コンサートは大成功。群集に肩車され会場を出た瞬間に、拳銃で撃ち殺される。
地獄。ユリディスと再開して抱擁。アイリスイン。
まあ、日本で公開されなかったのは当然ではある。コンテキストがわからなければまずわからない。コクトーのオルフェは鏡(水面かも)を超えるところと、マレの顔つきくらいしか覚えてなかったので、そっち方面はあきらめるとして。笑いどころなのか、当然なことなのかも微妙。両刀のオルフェなのは良いとして、エンジニアを捨てることになるわけだがそれでよいのかどうかとか。地獄の中のラブホテル、それを平然と眺めて批評するマレとか、笑いどころのようでもあり、食事を取るくらいにあたりまえのことなのか。極端な追っかけのように見えるが、日本の追っかけの機動力を考えるとフランスでもそういうものなのか、それともバッコスの信女だからそうなのか、とか。極端な日本女メークの居心地の悪さというのもある。音楽はまぎれもないルグラン節だが、若作りの芸能ロックとしか形容しようがなく(オルフェの唄やアクションも)、これまた居心地が悪い。にもかかわらず、十二分には楽しめたのではあるが、思い出のマルセイユが120点だとしたら、せいぜい80点という感じで、特に見る必要もなかったかな、という程度ではあった。とは言え、面白かったのは事実だけど。
バッコスの信女が大暴れする映画を観ている頃にバッカスが亡くなったわけだが、BNFとして名前が残ったわけで、考えてみると、名前が作ったものそのもので残った稀有の人物のひとりであるな(K&Rも死んだら名前が残るか、っていうかAWKもそうだ)。
#多分、今となってはFORTRANを読み書きできる人よりBNFを読み書きできる人のほうが多い(影響力が大きい)んじゃなかろうか。というか読めなきゃ困るわけだし。
達人じゃないから覚えてないけど、必要になればいつでも、man asciiとかできるからなぁ。
あと、man -k iso- とか(これは使わないけど)。
ちなみに、man unicodeとやってもコード表は出てこない。でもman utf-8でビット構成はわかる。
(Linuxだとman ebcdicは少なくてもデフォルトじゃ入ってないみたいだ)
ドゥミの映画の特徴は、役者がみな、良い顔をしていることだ。美男/美女ってことだけじゃない(極端な御伽噺の世界だからそれはそれで重要なんだろうけど)。特にパーキングで顕著だった。
フルミュージカルの場合は、口パクと動きをすべてミュージカルのサントラに合わせるのが前提だからどうしたって固くなってしまうだろうから、それが不要なパーキングに特徴が良く出ているのかも知れない。怒っていようが、嘆いていようが、常に、さっぱりしている。そこも演出(おとぎの世界の物語)なのだろうか。だとしたらとてつもない話だし、多分、そうではなく、何かのムードの問題なんだろう。ただ、それが大演技じゃなくて、普通な所作でそうなっているところが、60年代の作家ということなのだろう。どんなに叫んでも決して喚かない。
全然Gaucheハッカーではないけれど、それどころか、素では何も書けないけれど、それでも観に行く。
LL RingとかRubyKaigiとか観てつくづく思ったのは、ボクシングができなくてもボクシングが観戦できるように、政治家じゃなくても国会中継を楽しめるように、そのジャンルをハックしている人が舞台に出てきて何かをすれば、それはすごくおもしろいということだ。ただ、好みのジャンルがあるというだけだ。で、おれは、このジャンルが好きだ。だから、観に行くのだ。
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