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民衆の敵 [DVD] FRT-145(ベリル・マーサー/ジョーン・ブロンデル/ジェームズ・キャグニー/ジーン・ハーロウ/エドワーズ・ウッズ)
こないだ雑談してたら、IronRubyが世界を制覇して、MSのRubyが世界のRubyになっちゃって、YARVは本当にYet Anotherにされてしまいそうでこわいこわいみたいなことが話題になった。
おれはそんなこたないだろうと思った。第1にそこまでMSがRubyにコミットするとも思えないし、J++のころとは戦略が違うし、とか。
でも、今になってふと考えた。
次のシナリオはあり得るし、もしかしたらそれで幸せになってしまう人がたくさんいるかも知れないかも知れない。
つまり、ECMARubyをMSがECMAに提出し、Sunがそれを後押しする、というシナリオだ。つまり、Ruby1.8.5(6)の仕様が標準Rubyになるというストーリー。
このシナリオは十分に考えられる。
まず、Rubyをエンタープライズで利用したい人たちにとっては、Rubyの標準というのが明文化されることになってハッピー。IronRubyやJRubyにとっては標準を冠することができる。認定試験もやりやすいだろう。
ここでMRIはどうなるんだろうか?
1.8.6系が容易にECMARubyに準拠できる(話が逆転している)のであれば、これはこれで良いことに思える。
ではYARVの立ち位置は、というと、ECMA標準があろうがなかろうが、今のRubyのユーザーのおれとしては、最新の安定板のASRは作るだろうし、使うだろうし、これは今のほとんどのユーザー=開発者と変わらんだろう。
問題となるのは、ECMARubyの2.0仕様策定が、YARV(1.9の意味で使っている)と別路線で走りだしたときだな。で、そういう可能性があるかないか、でいくと、YARVが普通に先行していれば、あまり無さそうに思える。よほど変な政治力が働かない限り、つまりプロトコルの脱共有化圧力で個人による実装が不可能レベルまで肥大化しない限り(それなんてWS-*)は、YARVの仕様の追認になるだろうからだ。
というような形でなら、MSのちょっかいっていうのはあるかもしれないな、とおれは考えた。
#しかし、WS-*というかSOAPを思い出してみると、Iで始まる巨人がからんでくると、いつのまにやらねちねちした型宣言が必須な言語仕様になってたりしそうで(型宣言はなくても、変数の初出時にはvarが必須とか)、こわいといえば、そっちがこわい。Groovyが元のGroovyから今のGroovyになるにあたってのJCPでの発言をチェックしてみるとおもしろそうである。
続き。
で、ECMARubyが仮にあったとして、もし不幸なことがあり得るとしたら、それはバージョン2からだろうと想像できる。
そこで不幸が起きないようにするにはどうすれば良いだろうか。
それはコモンセンスに任せれば良いのではないか。
具体的にはYARVがリリースされていて、それが広く使われていることが明らかな場合に、あえてそれをなかったことにする仕様が通ることはないだろうということ。
つまりはYARVをみんなで使おうね、と。
iTunesから適当にシャッフルして流してたら、ある曲のあまりの美しさに思わず涙してしまった。
Everything Kill You
そうか。ここまで到達したのか。素直にすげぇよ。
エコーアンドザバニーメンについてはいろいろ思うところはあるが、どんどん年齢相応な深みってやつがついているようにはあまり思えないわけだが(Sessions in the Sandとか、別にゲームの頃の曲といってもかまわなそうだ)、で、確かに別にじじくさい曲を聴きたいわけでもないが、こういう(エバーグリーンの平易でメロディアスな感じとも違うし、フラワーズの21世紀サイケ中年路線とも違う、どちらかというとソロに近いかなぁ)素直にシンプルに、メロディアスな(やはりエバーグリーン路線かなぁ。でも10年の歳月か、唄の艶艶(いろつや)に陰翳あって見事なものだ)、アレンジも良いなぁ。音の層の厚いところと薄いところのバランスとか。
いいものを聴いた(というか、買ってiTunes食わせたものの一度も聴いてなかったのがなんだかなぁ)。
#う、シャッフル止めて落ち着いて聴く体勢にしたら、次のサイベリアが、いまさんのいつもながらのエコーバニ路線で、ちょっと不快になったり。やっぱりこいつらはBGM、と書いた瞬間に転調したが、そこはばかみたいに素晴らしかった。転調はモーツァルト以来の作曲家の必殺技だな)。
そういえば、昨日見た、ルグリカンパニー(でもルグリは出てない)の白鳥の湖の最後のロットバルトの翼をもぎとるところの転調(例の白鳥の湖の有名な曲が長調になる)で、ウワァー勘弁してくれ―と思ったのを思い出した。あれはひどい。長調にしても良いものと悪いものがあるだろう。あれはチャイコフスキーのオリジナルスコアなのか? だったら、ちょっとチャイコフスキーの作家としての良心を疑う。
でもそれを別にすると、楽しめた。4羽の白鳥の機械っぽさとか、オディールの機械っぽさ(ロットバルトが操っているかのような振り付け。というか振り付けも良いかも知れないがそれを実装する技術が確かなのがすげぇな。なんか白鳥全員うまかったし。ブランなバレエではじめてほとんど退屈しなかった)とか、なんだかすごくおもしろかった。それにしても、オディールはいいなぁ。
ロケール設定を日本語でいいや、としてたら、英語版はどこだというメールが来て、正直なところ結構うれしかったり。最近はOne Click Installerルールドなのかと思ってた。
というわけで、ロケールをニュートラルで作りなおした。
ついでに、というわけでもなく懸案事項だったパスの設定問題を修正して、インストール後にポストインストーラを走らせて修正するようにしてみた。
このあたりは、VC6のVisual Installerより、Visual Studio 2005の配置ツールのほうができが良くて、ちゃんとポストインストーラの実行と、それを実行して日付が変わったファイルのアンインストール時削除をしてくれる。
こうなると、いくらでもスクリプトを走らせられるようなので、PATH設定についてもちょっと考えるわけだが、これについてはやはりやめとこう。
ジェズイットを見習え |
白鳥の湖は組曲版しか聴いたことがない、バレエの舞台は見たことがないのですが…最後のところの、「私、殺ったわ!勝ったわ!!自由になったわ!!」って感じのする箇所のことでしょうか?
いやぁ、僕も全曲版(なのかな?)は初めてでした(組曲版もたぶん聴いたことないと思います)。それだけに衝撃も大きかったわけですね。<br>舞台上、ジークフリート王子がロットバルトと揉み合って翼をもぎとって投げつけるとロットバルトがそのもげた翼を抱えて逃げ出す(という演出だったのです)あたりで長調に転じて勝利のマーチのように轟き渡って「おいら、やっつけたぜ、勝ったぜ、カモン、オディット、ばんざい」(同じ意味ですね)なので、たぶん、その箇所だと思います。<br>もっとも、1幕の終わり(だと思うんだけど)で、ロットバルトがあの曲でソロを踊るので、えー、オディットのテーマってわけじゃないのか、とそこからすでに考え違いしてたわけでした。
あの長調がいいんですよ。悲劇的で運命的な長調で、ぞくっとします。
なるほど。音楽が「悲劇的で運命的な長調」と言えばそうなのかも知れませんね。でも、劇の上では全然悲劇的ではなく単純に腕力ずくでの勝利なところが、まったく音楽と合わないわけですが。