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影響力のある人ってのは、つまり権威ってことなんだし、自分で吟味しない人は常に一定の割合でいて(そうでなければ、世の中に権威という存在はありえないわけだが、実際、存在している)その人たちに影響を与える。
ってことは、権威がある人は、だめなものはだめ(良いものは良い)、と言うべきですね。
重要なのは、権威に逆らう人ではなく(もちろんいろいろな理由からそういう人はいる。権威が間違っているということもあるし、単に権威に挑戦したいって人もいるし、権威へのレベルに意味を求める人もいる)、おおそうだったのか、と権威に言われてそれまでのあり方を考え直してみる人たちだ。
ラーメン屋をことごとく食らいつくした人間のラーメン批評にはいかに主観が混じろうとも、意味はある。少なくてもカップラーメン1種類しか食ったことがない人間のラーメン批評よりは耳を傾けるべきだ。仮にそれが的外れであっても、まったく問題ない(情報から意味を抽出して再構成して自分の役に立つべく知識化するのは、受け手の問題だ。そこまで責任を負う必要は一切ない)。ハンスリックの的外れなワーグナー評であっても、歴史的な意義がなくならないのと同じことだ。まして、それがプログラミング言語のようなジャンルならなおさらだ。
というわけで、がんがん発信してほしいな(それが立場をわきまえるということだ)。
と、思った。
たとえば、
影響力の大きい人が発言してるので怒ってます。
これは、非常に興味深い。書いていて疑問を感じないのだろうか?
この言明は「影響力の小さい人の発言であれば怒らない」を含意している。(誰が発言しても怒るのであれば、「〜が〜して(い)る『ので』」と理由の「ので」は出てこない)
もし、怒るのであれば、「〜という指摘は正しくない」であるべきだ。
ところが、この表明からはそのような情報は得られない。このような発言をさして「図星」と呼ぶのは正しい。なぜならば、もし「的外れ」な批評であれば影響力の多寡ではなく、その論点の誤りを指摘できるからだ。
したがって、どうやら正しいらしい指摘を、影響力のある人が行うことは、その影響力ゆえに怒る(影響を与えられた=反応を引き出された、これはネガティブなサンプルであるが、当然のようにポジティブなサンプルもありうることは想像できる)と表明している人が少なくとも存在している以上、きわめて意義があるということだ。
ふーむ、やはりessaさんの考察は深い、と納得しながら読みながら、暗澹たる気持ちになる。
なんというか、ここは、民主主義の国なのか? まったく民主主義の根本となる考え方(総意に基づきながら社会を改良していく)をできない人間が相当数存在するという意味じゃないか。
#その違和感が上のエントリーを書きたくなった真の理由らしい。(書いているときは、essaさんのように読むことはできなかったので、気づかなかった)
ジェズイットを見習え |
>「影響力が大きい人が発言しているので〜」という発言について<br>私も、あの日記のコメントを読んでいて「この人はなんなんだろう」と思ってました。<br>私個人の意見だと、ソクラテスを牢屋にぶち込んだ人達と<br>似てるな、という感想を持ちました。<br>あきらかに現代人ではない気がします。