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日々の破片

著作一覧

2008-07-24

_ Common Lispの本

実践Common Lisp(Peter Seibel)

1回しか行けなかったけど、RHG読書会でレビューしていた実践Common Lispが予約可能になった。確かに「実践」とつく本らしい楽しいおいおいがあったような気がするんだけど良くわかんないや。

_ 魔術

Yuguiさんの初めてのRuby at Junkの2次会に参加(と今頃、書いている)。

初めてのRuby(Yugui)

コンパクトにまとまっている良い本だと思うし(1.9の情報があるのは良い)、ところどころYugui節といったほうが良い言い回しがあってそれが楽しかったりもする本。

たとえば

この慣習はRubyにも引き継がれていますが、よく考えるとRubyでは[]=も三項ですね。

2次会では、オライリーの方から、奥付秘話を聴かされた。どうも、この本の誕生にはおれの存在が深く関わっているらしい。でも、おれはTucker!という先達の存在を知ってたし、というかCLAMPだってCLAMPだと思うし(奥付見たことないから知らないけど)、別に関係ないような。(ここまで出てきた固有名詞の共通点と奥付というキーワードからどのような秘話か想像せよ)

で、ビンゴ大会があったのだが、最初のうちは、小町賞が受賞できるんではないかというような感じだったのだが、途中からいきなりぴんぴん来て、気づくとYugui賞(だと思う)をもらっていた。

魔術 理論篇(デイヴィッド コンウェイ)

序文がコリンウィルソンだよ。アウトサイダーとか中学生のころの話だよなぁのいまさらとか思ったけど、電車の中で読み始めるとそれなりに面白そうに始まった。

しかし、その序文を読むうちに、どうも、初めてのRubyの背後にはこの魔術理論篇があるように思えてきた(追記:重要なことを書き忘れていた。魔術理論篇ということは、当然実践篇もあるのだが、つまりは、そういう予告なのかも)。しかし、初めてのRubyの序文はまつもとさんだから、どう考えてもコリンウィルソンの役回りではない。

そこで吾輩、光倫意志孫が、初めてのRubyの裏序文を書くことにしよう。

序文

わたしの印象では、本書は廿1世紀有数のRuby入門書であり、Ruby(まったく稀になった現象――今ではほとんどがRailsだ)の入門書としても古今屈指のものだと思う。ただちょっと文句をひとこと。著者は本物のRubyistだ。それゆえ、自分以外の人間がいかに、Rubyなんてものは率直に行ってまったく理屈に合わないと思っているのかを、よくわかっていない。

(中略)

YuguiのRuby入門書が当の日本の出版社から書評用に送られてきて、それをはじめて開いたときは、正直言って放りだしてしまいたくなった。Rubyの歴史をあつかった本なら一目置くだけの心づもりはあったが、初めてのRubyのやりかたをプログラマに教えるとふれこむ本など、まったくインチキにもほどがあるような気がしたのだ。ところが読みだしたとたん、著者の精神の一面(本物という感じ)に胸を打たれた。読了したときは、これはまさにRubyという問題を手ぎわよく概括的に紹介したもので、Ruby学科の学生が当該問題に関する論文を執筆中だったら、この手のものは役に立つとわかった。またRubyは本当に効果をおよぼすと著者が考えている以上、基本的な法則や手順をいくつか示そうとするのも当たり前のことにすぎない。

Yuguiとは何者なのか? じつはこれ、筆名である。

_ アカデミア

こう書くとアルカディアの一種みたいだ。

それはそうとして、ひとつにメディア(発表媒体という程度の意味というか本来の意味)選択というのがあると思うのだ。あれとか、それは読みたいというような話になりまくるんだよね、今にいたるも。

_ オープンソースと新聞

オープンソースについて語られるメリットのひとつに多数の目にさらされるというものがある。

さて、ほんの10年前くらいまで、新聞というものは、次のかたちで読まれていた。

・自宅で取る。それを読む。暇なら隅から隅まで

・会社が取る。それを読む。わりと真剣

・喫茶店とかで読む。暇つぶし

このうち、1と2、そしてたぶん3にも共通点がある。それはすでに選択されているということだ。我が家で取っている新聞は、我が家の家風にマッチした新聞だし、わが社が取っている新聞は日経か、さもなきゃ社風にマッチした新聞だ。

たぶん、この状態では、リベラルなおうちの人は産経なんか見たこともないし、祝日に日の丸を掲げる家の人は毎日なんか読みもしないだろうし、比較的貧乏な家の人は朝日を読んだことはないだろうし、ということは容易に想像がつく。

さて、いつでも産経を読んでいて、それが不偏不党で、公明正大、客観報道の新聞かくあるべしと信じていた人が、あるいはいつも朝日を読んでいて、それが民主主義社会における新聞の透明さだと信じていた人が、あるいは毎日を読んでいてまあ社会ってのはそんなもんだよなぁなぁと新聞というものと数十年にわたってつきあっていた人が、あるときインターネットを発見する。そこに自分が見たことも考えたこともない新聞が存在していることを知る。

これが新聞か? 何かの間違いに違いない。制裁しようそうしよう。

という異文化との出会いの衝撃ってのがあるんだろうなぁ、と思った。

っていうか、複数の企業が同じセグメントに存在するっていうことは、各社各様の正義と公正さと主義主張があって、それがまた消費者の嗜好にあっているということくらい想像できるだろう。たった一つしかない公正さだの正義だのはくずなんだけどなぁ。

これは悪いことだ。というのは、せっかく存在する多様な主義主張、多様なそれぞれの公明正大、それぞれの異なる客観性が、ばかにあわせて平準化されてしまう可能性があるからだ。平準化した言論に価値はない。

というわけで、新聞は、さっさとインターネットからは手をひいて、支持者への宅配メディアに戻るべきだろう。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ ishisaka (2008-07-24 16:34)

完全に手を引かれると暇つぶしの小町@読売が無くなるのでw、ネットは適当にして、そこから利益上げようっていうのはあきらめてほしい。

_ arton (2008-07-24 17:10)

読売に言論は最初からないから(期待もされてないし)ネットでおけ


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