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日々の破片

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2008-10-06

_ 静謐な世紀末

上野に国立ソフィアのトゥーランドットを観に行って(たぶん、あとで書く。が、メモ。オーケストラは重厚で僕は好きなのだが、若々しいカラフがどうも違和感があって、なるほどイタリア人のテノールというのは(あまりよくない言葉)っぽいから、まさにカラフにうってつけなのだな、と得心したり、素直な良い演出で、しかし最後の最後でうーんこれはどうなんだろうと強い違和感を受けたり、というか幽霊ですかとか)、少し早かったので向いの美術館でヴィルヘルム・ハンマースホイの展覧会を見る。ああ、これはびっくりだ。

文化会館のテラスから眺めると不思議なポスターだったので興味を惹かれたのだが、まったく初見のデンマークの画家だった。明治-4ということは覚えているからつまり1864年生まれ。20で1884、30で1894、つまりその時代のヨーロッパのまっとうな画家なら誰もが意識した、世紀末芸術を担う人であったのだと思う。

そして、びっくりするほど、静かに感動的に世紀末芸術とはかくあるべきという世界がそこに収められていた。これはすごい。

世紀末芸術という言葉から、僕らはすぐにムンクであるとか、モローであるとか、装飾的な狂気と幻想を思いつく。

ベックリンの有名な画はどうだろうか? いや、あれですらわかりやすい幻想の世界だ。静謐ではあるが、狙いに狙った死の象徴だ。

だが、たとえば文学では、死都ブリュージェのように、ただ静謐で悔恨とほのかな絶望だけに満ちた世界も描かれてはいるのだ。

死都ブリュージュ (岩波文庫)(G. ローデンバック/窪田 般弥)

ところが、この初めて知ったデンマークの画家は、完全なまでに、絵画の分野で、静謐でありながら、一見するととんでもなく写実的でありながら、それは確かに単なる部屋であり、うなじであり、背中であるにもかかわらず、しかし見ているものがいたたまれなくなる、何かとんでもなく陰鬱で歪んだ空間を作り出している。

昨日、病院の待合室で順番を待つ間に1つの中編を読んだ。

最後のウィネベーゴだ。

最後のウィネベーゴ (奇想コレクション)(コニー・ウィリス/大森望編)

なんとなく、ミュージカルの小説(だけだと送料が出ないというのもあって)と一緒に注文したのであった。

読了して解説を読むと、これこそ終末小説でどうしたこうしたというようなことを大森望が書いていた。終末は冒険ではなく、そこにある日常が緩慢に消失していくことであるというようなことだ。

なんという偶然だろうか。

つまり、同じことを、たまたま入った美術館でおれは目にしたのであった。

声高に世紀末の恐怖を顕現させるのではなく、ただ、静かに幸福な日常の風景が失われていく、あるいは目の前の現実が遠いものに感じられていく、そのような画がそこにあった。

いくつかの作品から顕著にわかることは、構図のゆがめ方だ。まず、この作家は圧倒的に正しい構成力を持つ。それは、最初に展示されているデカルト座標のような印が見えるうなじの絵から明らかだ。

それが物議をかもした妹の画では、妙なずれが生まれていることがわかる。

明らかにそれが狙ってやっていることだとわかるのが、次の部屋の正面に展示されていた後の奥さんの肖像画だ。

バランスがおかしい。

背骨を長辺とした直角三角形の人物(左側が腕と膝で斜辺を作る)で、おそらく標準的な構図であれば、長辺側は右に詰めて、左に光源があり、バランスから左に空間を配置すると思う。

しかし、余白は長辺側(つまり右)にあり、底辺と斜辺の交錯する点は、左端にある。

したがって、視点を正しく定めると中心を外れてしまい、異様な不安感が与えられる。

にもかかわらず、徹底的に写実的な肖像画で、まったく破綻がない。これは鮮烈な体験だった。

その次の部屋は建物の写生画なのだが、なんなのだこれらの死に絶えた風景は。色使いが暗欝だからということもそうだが、やはり焦点がずれているように感じる(うーん、あまり覚えていないな)。(このあたりで、世紀末の画家だとはっきり意識せざるを得なくなり、しかしその手法が実に独特なものであることも理解できる)

そして室内に戻り、どこかの大ホールの絵が出てきて、いたたまれなくなるような、広い空間に出会う。歪んでもいないのに何かがねじまがっているのだ。(後のほうで晩年に住んでいた部屋のシリーズが出てきて、そこでディープフォーカスによる異化効果や、これは画に解説がついているが俯瞰と低い位置からの視点の両者が混ぜ合わされてる画などを見られるが、そこまでわかりやすくはない手法で何かを歪めているのだろう)

細部を書かないという手法による不安感の煽りというのもあった。

きわめて写実的に部屋は描かれているのだが、そこにかかっている額であったり、器物であったりが、単にあいまいに塗られているために、その空間全体の現実味が、いやな感じで打ち消されている。

3脚に見える椅子。右は正面から見ているため脚が1本に重なり、左は2本。しかしその場合の焦点と、部屋を描く焦点が異なる。そこから生まれる居心地の悪さ。目の焦点がどこか別のところにあるため、不在の人が大きく描かれていて困ってしまう眺めの良い部屋。

ディープフォーカスは部屋の空間にだけ当てられていて、部屋を構成する細部はすべてソフトフォーカスが当てられている、写実的な絵画のもつ違和感。

実におもしろかった。まだ見たこともないすごい作家や作品が世の中にはたくさんあるのだ。

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]
_ poppen (2008-10-06 06:32)

犬を亡くした経験が2回あるので「最後のウィネベーゴ」を読む度に目頭が熱くなります。電車の中で読むとヤバいです。

_ arton (2008-10-06 20:11)

あの作品は味わい深いですね。

_ 通りすがり (2008-10-06 20:58)

「渚にて」は読まれましたか?<br>世紀末小説、とは少し違いますが、日記を読んで思い出しました。<br>映画も作られたり、ニールヤングがアルバムのタイトルにしたり、日本にも同名のバンドがいたり。<br>人類滅亡を目前にして陽気にサーフィンをする、そんな小説です。

_ arton (2008-10-06 21:04)

あの映画は僕が小学生のころ、(多分、反核というノリだと思うけど)実に頻繁にテレビで流れていて、良く観ましたね。正直なところまったく覚えていないし当時は知りもしなかったけど、アステアも出ているみたいです。で、その続きで中学のころに読んだはずだけどやはりまったく覚えていなかったり。きっと今読むと、また違う印象を持つのでしょうね。

_ ムムリク (2008-10-07 11:37)

確かに当時は「ソイレントグリーン」とか「ウエストワールド」とかよくテレビでやっていて、それが未だにかすかな記憶として残っていますね。

_ arton (2008-10-07 20:52)

やってましたね。僕は禁断の惑星とか好きでした。ウエストワールドって今思うに、ターミネータみたいでしたね、最後のところが。


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