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なんか久々に小説(この場合は、物語によって世界を捉えようと試みた文学といった意味)を読み始めたら、止められなくなり、はら先生お勧めの香水も買って読んでしまった。
ある人殺しの物語 香水 (文春文庫)(パトリック ジュースキント)
こりゃおもしろい。おもしろかった。
つまりは、この主人公は、屈木頑之助ということだな、名前からして(もう少し人間的な見かけらしいけど)。
まったく教養的ではない(ということもないか。獣の脂の効用を知ってしまったし)悪漢小説というか、最後は愛の犠牲となって昇天するわけだが、巧妙だった。
あわせて読みたい:『とんびと油揚』寺田寅彦
寺田寅彦の仮説に基づいた記述(なわけはないが)があって心が踊った。つまり、最初にパリをどんどこマレ(だっけな? 多分、紙の市場があるほうだと思うけど)のほうへ進んでいくところとか。
舞い降りた天使がまたたくまに人々によって八つ裂きにされるイメージってどこかに引っかかるのだが、いったいなんだろう?
あと、愛に生き、愛に死す、という言葉通りの順番がちょっとおかしかったとか、妙に合理的な不快感の原因の説明とか、味わいどころも満載。雪山将軍のエピソードとか、いろいろ。
そういう読み方があるというのは気付いていなかったことにしておくが、なんで映画でストーリーが重要なのかというと、会話のネタにしやすいからだ。
それにくらべると構図であるとか構造であるとか歴史的コンテキストであるとかといった抽象的なメタデータや、作家であるとか俳優であるとかの具象的なメタデータは、ネタにしにくいということであるとな。いずれもそういった情報を理解するだけの知識基盤が必要となるので、一般化できないと。
すると、いわゆるおたくという人たちと、そうでない人たちとの分水嶺は、形而の中線として引かれている(引けないけど)と考えられる。
言われてみれば、おれの興味のない/未知のジャンルの作品については、で、それどんな話? みたいなこと(つまりは物語)を聞くよな、ふつうには。
そこでたとえばセーガン博士の、なぜ想像力を働かせるというと、星間空間を漂う冷たくて希薄なガスの中に生命の構成要素である分子が存在するとかではなく宇宙人の侵略とかになってしまうのかというような疑問とかは、おかど違いなのではないかなぁ。
こないだ読んだ本でカントールが有理数を数えることができると対角線を使って証明するところで、なんてすげぇ想像力だと感動したけど、経験に基づかない想像力というのは、確かに伝達しにくいかも知れない。共感するための基盤がないからだ。
というようなことを、最近また続きを読み始めたカント(世界の測量を読んでいて中断していたのを思い出した)を読んでいて考えた。
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