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油を流して2日ほどは様子を見ていたのだが、効果はなさそうなのでしばらく放置していた(水の継ぎ足しはしていたけど、まじまじと覗きこまないと孑孑の存在は確認できない)。
今日見たら、一匹もいなくなっていた。
おそらく、元いた連中は羽化して飛んで行ったんじゃないかとは思うが(死滅した可能性もないわけではないだろうけど)、少なくとも、第2弾、第3弾は攻め込んではいない。
とすれば、水の表面に油が浮いていると、蚊はそこを産卵すべき場所とは認めないように思える。もちろん、産卵可能な蚊が、たまたまここ数日このへんをうろうろしていないという可能性もあるけれど。
というわけで、効果があったのかなかったのか、わからない。
久々にバラードを読んだ。
結構、時間がかかったのは、表現方法がひっかかるからだろう。それは悪い意味ではなく、味わい深いということである。
きわめて不快なお話である。
イギリス人の自然保護活動家の中年(これは重要な点となっている)女性と、彼女に惹かれるハイティーンの青年(親父は、どうやら核実験のときに被曝したことが原因で自殺。この青年の視点で物語は動く)、適当に成功している実業家、原爆の語り部たるに目覚めた日本人の植物学者夫妻(日本人の科学者は以前にも登場していたが、どのようなシンボルなのか。静かに怒って静かに死んでいく)、ヒッピーと訳されているが1990年代が舞台なのだからゴスと訳したほうが良いだろうななドイツ人達、ハワイ独立運動の活動家、筋金入りの自然保護活動家の女性とその親父、こういった人たちを見捨てられた軍事施設がある南海の孤島に住まわせる。
当然のように、物語は蠅の王様のような話になる。
しかし、年老いてもバラード、物語がどれだけステレオタイプになろうとも、興味は一貫して、ある状態におかれた人物が、その偏った考え方のために異常な適応をしてしまい、その結果、その異常な状態に魅了されて逃れられなくなる、という心理観察にある。どうあっても、脱出しないのだ。
それにしても、多彩な登場人物、二転三転する状況と気のもちようによって、舞台となった南国にふさわしく彩り鮮やかな物語であるが、たった3人がグレーのコンクリートと緑の草とほんの少しの土だけで構成された空間でうじゃうじゃする島のほうが、凝縮度が高いからだとは思うが、おれには好みだ。あるいはそうではなく、読んだときの年齢の問題かも知れない。
安部公房とずいぶん近い位置にいる作家なのだな、と気づく。
客観的に見れば、さっさと逃げ出せば良いだけなのに、またその機会はいつでも転がっているのにもかかわらず、その状態に留まり、さらに悪い状況へ陥る。それを支える、他人から見ればささいで、しかも現在の行動とは何の関係もなさそうな、トゲのようなものが脳みそに刺さっているために、そこから逃げ出すことははなから眼中にない。かくして、ますます異常な状況へ突き進んでしまう。
普遍的なテーマだ。
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