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Twitterで哲学ノートについて見かけたので、30年前ならいざ知らず、今頃になってなんで哲学ノートなんだろうかと検索してみた。
すると、トップに松岡正剛の哲学ノートについてのページが出てきた。
しかもぼくは、この本で初めて、世の哲人や学者や革命家たるものがマーキングをしながら本を読んでいるのだということを知ったのだった。
ふむふむふむと思うところがある(既に最初のトリガーから別のところにいる)。
そういえば、本の読み方をおれはどこで学んだんだろうか?
もちろん、小川未明の読み方は母親に教わったわけだが、そういう話ではない。
ひとつは、高校時代の作文の時間の教科書の板坂元の方法で、手元にダーマトグラフがあるのは、この本の教育によるはずだ。
で、読書のツールたるダーマトグラフ。
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あの時点ですでに蛍光マーカーは売っていたから、なぜ黄色のダーマトグラフなのかは疑問でもなくはなかったが、消えない、剥ける、透けないとか、マーカーよりも納得感があったのは記憶にある(ので、手元にもある)。つまり、要点をダーマトグラフでぬることで、その作業を数ページやれば、その書き手がピラミッド型に文章を構成しているかそれとも逆に構成しているか判明するから、後はそれにあわせて読めば良い……とは書いていなかったはずだが、そういうような分析用のツールとして利用することを勧めていたような記憶がある。まあ、覚えてないけどな。KJ法もこの本で学んだのだが、軽い語り口でうまく情報整理術をまとめてあるとは思う。
しかしそれ以上に利用したのは、NOBLOT INK PENCILだ。鉛筆にインクが混ぜこんであるので一度定着すると半永久的に消えない(かすれない)、しかし書いてすぐなら消しゴムで消せるという謎鉛筆で、かすれないという点から本へ書き込むにはもってこいなのであった。
これも、板坂元なのかな?
というのは、同じ時期に、別の読書の方法論を読んで、これまた影響されまくったからだ。多分、その著者は目が見えないのでインク鉛筆みたいなツールを提示したりはしないだろうから、ツールは板坂、線の引き方はそっちみたいな方法をとったらしい。手元で残っているのだと思想書のたぐいには、明らかに影響下にある書き込み方法をしているものがある。
いやぁ、思い出したよ、こんなものも読んでいたのだった。どういう人かは知っていたけど、多分、高校の図書館で借りて読んだのか、区の図書館で借りたのか。
クロカンは言わずと知れた革マルの理論的指導者だが、同盟員(で良いのか?)教育のための著作もものしている。これもその一つ。で、なぜかおれは実用書としてこれを読んだのだ。多分、ぺらぺらと手に取って眺めて、具体的な方法論が書かれていて、おおなるほど、思想書とはこういう読み方をするものなのか、と借りて読むことにしたのだろう、と思う。
で、読み進めると、レーニンの哲学ノートでの線の引き方を真似しろ(というか哲学ノートを読め)というのがあったのであった(はずだ)。
重要なことが展開されている可能性があれば上に横線、間違いなく結論であれば縦に傍線、何か感じたことがあれば、一言その感じたことを書いておく、とか。
そうやって学習した方法を利用して右手にインク鉛筆、左手にページをもち、書物を順に紐解けば、次第に理解してくることがある。読書とは、読みながら文章の構成を分析して、要点にあたる情報を抽出して、夾雑物を排除しながら論点だけを残していく作業だが、それと同時に文は人なり、言葉に人は感銘するのだ。感興は要点だけからは生じない、その心の動きも同時に記録していくのだ。つまるところ、読書は知性と感性の双方を使う作業なのだ。であれば、美辞麗句や難解な言い回し、綺語、古語、そういった論旨にとってのノイズが、実は正しく思想にとっての通奏低音であり、哲学書、思想書の類が晦渋なのは当然のことであった。
しかし――今は、そういう線を引っ張ったりはしないなぁと考える。
理由は、必要ないからだ。それほど晦渋な本は読まなくなったというのもあるけど、どう読めば良いかという方法論が身に着いてしまったからだろう。
でも、たまには、そういう読み方をし直してみるのも悪くはなさそうだな、とか思ってみたりしてみたりする。
アマゾンの評を読むと、
本書のオリジナル・タイトルは"SHOW-STOPPER!"という。これは、演技を中断させるほど長い喝采を受ける演技であり、人を魅了するもの、思わず見とれるものを意味する。著者のザカリーはWindowsNTとその開発プロジェクト・チームを "show-stopper" と見ているようだが、我々読者にとってはこの本そのものが"Show-stopping!"なのだ。
おれの記憶とまったく異なる。おれの記憶では、リリースショーをストップさせるのは、いつだってリリース間際になると発覚するバグ、それも、ロータスが動かない、dBaseが動かない、そういった大物アプリケーションのAPI呼び出しに対する非互換動作のことだった。
つまり、ショーストッパーとはネガティブな意味だ。
以前読んでから長い時間が経つ。
おれが覚え違えている可能性はある。しかし、しょせんアマゾン評という可能性もある。
というわけで、読んだ人はこっそり教えてください。まあ、わかったからといって何がどうなるわけでもなく、すでにWindowsは32ビットどころか64ビットになっているわけだが。
追記:ショーを止めるもの。ありがとうございます。
tDiayをバージョンアップする気が今はないことと、現在、回線が微妙な状態なので(来年にはプロクシを提供できるかも知れないが現時点ではそれはありえない)、とりあえず、直接misc/plugin/amazon.rbにパッチして動かすことにした。
が、結構、はまったのでいくつかメモ。それにしても日曜の昼下がりの再発明は楽しい。
まず、プラグインだけを動かすのが面倒だった。そういう場合はスタンドアロン実行用のテストを作れば良い。ので、作る。
require 'rexml/document' require 'test/unit' class EcsTest < Test::Unit::TestCase class DummyConf < Hash def secure nil end end def add_conf_proc(name, conf) end def setup @conf = DummyConf.new @cache_path = Dir.pwd @amazon_ecs_url = 'http://webservices.amazon.co.jp/onca/xml' eval(File.read('my_amazon.rb'), binding, 'my_amazon.rb', 1) end def test_getisbn doc = REXML::Document::new(amazon_call_ecs('4797337958', 'ASIN')).root item = doc.elements.to_a( '*/Item' )[0] assert_equal('4797337958', item.get_text('ASIN').to_s) end end
これで、とりあえずはプラグインを嘘でも呼べる体勢ができた。
で、何にはまったかというと、Base64でシグネチャをエンコードした上で、さらにCGI.escapeして(つまり最後の=をURLエンコードして)やらないと403になるという点。
あと、この手のテストには、printfデバッグがばかばかしいほど、有効だと知った。
というのはgnome-terminalが、コンソールに出力されているURLらしきものを見かけると、右クリックでURLを開く動作をしてくれるからだ。こいつのおかげで、何が返っているのかやたらとわかりやすい。というわけで、GETしてどうこうなアプリケーションをデバッグするのなら、URLは何はなくともprintfしておくと良さそうだ。
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昨年旧版を読んだときの記憶ですが, Show Stopperという言葉はartonさんのおっしゃるような意味で使われていました。amazonの書評での意味もあるので書評が気を利かせすぎているのか「所詮amazon書評」なのかはよくわかりませんが…。
どうもありがとうございます。自分の記憶が正しかったとわかっただけで嬉しいわけで。<br>たぶん、書評子はダブルミーニングの可能性を示唆しているのでしょうね。本来喝采を受けるべき人(=ショーストッパーたち)がショーストッパーに苦しむとか。
私もネガティブな意味で認識していたのですが、今Macの付属辞書を引いてみたところ<br><br>a performance or item receiving prolonged applause. [New Oxford American Dictionary]<br>熱烈なかっさいを博するせりふ[所作, 演技, 俳優]. [プログレッシブ英和中辞典]<br><br>とありました……
既存の show stopper という語をリリースエンジニアリングで皮肉的に用いるようになった、ということなのかな。
翻訳では失われていたそのあたりの皮肉(しかも本来はタイトル)を示したという点でアクロバティックな書評なのかも。