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子供が突然(たぶん、ラボエームとかWickedとか魔法にかけられて繋がりのような気がするが)レントと言いだして、DVDを買って見まくっている。
というか、最初、1年は何分か知ってるか? とか言い出したのはそのせいだと後からわかった。えーと、365×24×60だから700×12×60だから700^2でだいたい500000分くらいか? とか言ったら大雑把さを蔑むように526500分だと教えてくれたが、はてなんのことだろうと思ってしばらくしたら、一緒にDVD観ようと言い出して、いきなり始まった歌で、1年は526500分とか歌っているので、ああ、なるほどと気づく。
レント デラックス・コレクターズ・エディション [DVD](ロザリオ・ドーソン)
なんかユダヤ人の映像作家の声はエルビス・コステロで、ロッカー(なんか行きがかり上、荒川河岸に棲んでいる星のような)はヒューイ・ルイスとブルース・スプリングスティーンのようで……とか思わぬもないが、そういうことは置いておいて、なるほど、これは確かに優れたハイティーン映画だなと楽しめた。それにしても、サンタフェの崖の上のシーンには爆笑してしまったが、後でこれまた子供と、監督と役者の呟き音声で観ていると、まさにMTV用の有名なロケ地だというようなことを笑いながら話していて、おおやっぱりと納得したり。というか、最近のDVDはすべて関係者の与太話トラックが入っているのかな。こうやってメタな鑑賞手段が用意されているのが当然のこととなるとは、ずいぶんと良い現在だ。
唐突に70年代のマンハッタンの青春映画を思い出す。
時は流れ、グリニッジビレッジつまりウェストビレッジが再開発されてアーティストの卵たちはイーストビレッジへ移って、でもそれが再開発で失われつつある、それがレントなのだろう。おれが最後にそのあたりの情報を見たときはABC地区へ移ったのがさらに再開発されて、とまあ時代と共に場所は変わる。カルチェラタンからレアルへ、とか。日本だと大正では浅草で、昭和になって新宿が来て、さて今はどこなんだ、とか。
で、ウェストビレッジのやつはまったく同時代感覚はないからすべてカタログ的な感覚で、これっぽっちも覚えていないが、レントはまさにおれと同世代(よりちょっと若いかな)の連中なだけに台詞の端々がえらくわかっておもしろい。
で、子供に、あー、こういったニューヨークスタイルのパフォーマンスでやたらとモニター並べるのに、たとえばローリーアンダーソンってのがいてさぁとか、エビータってのが引用されたけどおそらくアメリカ人のミュージカル作家としては窓から投げ捨てたいってことだろうね、そういえばローリングストーンズがテレビをホテルの窓から投げ捨てるというパフォーマンスをしていたけど窓から投げ捨てるという意味は……茶の間テレビの気安さから知ったかしようとすると、「それWikipediaで調べたから」とか「うるさい、そんなの知ってるに決まってる」とか生意気言いまくられて、くそぅおれは同時代の空気を吸ったリアルなものとしてそれを皮膚感覚でわかっているのだよ、この単なる知識主義者めと子供の成長を祝福しながらもむかつきながら(でもおれは素直ないいやつなのでそこで口を噤む。紡ぐと似ているがえらく違うな。言葉を紡ぎ口を噤む)、あ、この情景をこないだ読んだぞ、とレイボーズエンドの一節を思い出す。
レインボーズ・エンド上 (創元SF文庫)(ヴァーナー・ヴィンジ)
子供がわからないことがあるとウェアラブルを使って検索してあたかも自分の知識のように、しかし単なるオリジナルに対するプロクシとして言葉を通過させているという状況に気づいた元詩人が辛辣にやりこめるところだ。
まあ、そんなものだろう。おれは大山倍達が毎日10000回の正拳突きの練習をして、空手の神様になったということを知識としては知っていても、だからといって毎日10000回の正拳突きを体でものにしているわけではない。
知とは、誰かが時間をかけて喜怒哀楽や生活やその他いろいろなものと複雑にからませながら習得したものを皮相的な存在に変化させたものだ。それを形式知と呼び、内面の葛藤を必要としない故に教育に利用できるために尊ばれる。それが人類の秘密だ。
それがたかだか30年程度の差となると、まだその知が知となる前のものとして体に染みついている人もいるから、軋轢もあるのだろう。なかなか、おもしろいものだ。
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