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テレビを見ると海の上になんか棒がそそり立っている画にかぶせてナレーションが入る。みなさんこれが何かわかりますか? ああ一角だなとすぐにわかってしまって、何つまらん番組やっているのかと立ち去ろうとしたら、ナレーションが続く。これまで北極海にしか生息していないなどの理由で生態が全然わからなかった一角ですが最近、研究が進んで、この角の役割なども知られるようになってきました。おお、それはまったく知らない、では見てみようと最後まで見たのがダーウィンがどうしたとかいう題の番組。広告が入らなかったからNHKだと思う。
・イヌイットは一角を貴重な食料源とする(角を売ったりもする)。が、滅多に見つからないので乱獲しているわけでもなんでもない。
・氷が薄いところの下にいるらしい。が、残念、白イルカでした。が、ラッキー、白イルカがいるところと生息条件が同じなので高い確率で一角もいるはず。
・いました。角は体長の1/2にもなる(長いものでは3m)。やっぱりクジラのサイズなんだな。
・骨格標本。さて角といっているがその実体は。口から突き出しているってことは歯なのか。(つまり牙。それも左側だけ。ただし100頭に1頭くらいの割合で両方の牙で双角となっている個体もある)
・西洋には16世紀に珍物として登場。みな、実体を知らないのでユニコーンの角と考えた。しかし17世紀にはクジラの角だということが知れ渡った。
・牙の特徴は、螺旋を描いていること(黄金バットのナゾーが住んでいる塔みたいだった)。
・何に使うのかについて3つの学説があった。
・1)敵(シロクマやシャチ)と戦うため。
・2) 氷を割って息をするため(クジラなので肺呼吸する)
・3) 獲物を捕まえる銛の役割。
・全部間違い。1) ー 敵はすばやいので逃げるしか手段なし。2) − 牙は大事にしているためそんなことには利用しない。氷は頭突きで割る(牙は水平になっている) 3)ー牙で獲物を突き刺したとしてどうやって口に運ぶんだ? (2だと思っていたが、ダメな理由を見た限り一番まともそうな考えだったのだな。というか3)があり得ないのはほとんど頓知レベル)。
というか、雌には牙がない。外敵用、呼吸用、捕食用のいずれも生命維持の問題なので雌に無いという時点でそれらが目的ということはあり得ない(なるほど。そう考えるのか。すごく納得した)
・ってことは雄が雌の気をひくためだな、と自然に考えて見ていると
・角(牙だけど)を使うところが観察できた。
・雄同志の戦いのために利用する。
・なんと、武器か。
・出会ったら、海面に牙を出して長いと勝ち。ただし、より海面から高い位置に先端があるほうが勝ち(長くても海面すれすれだったり30度くらいだと短くても垂直なやつに負ける。高く牙を掲げるにはえらい力が必要なので、それだけ偉いということらしい)。
・負けた雄は、角を使って、勝者の背中をごろごろしてやる。
・なんと。文化になってるじゃん。暴力が全く出てこないという点ではサルや一部の人間より遙かに高度に抽象化した関係性を持っているということだ。
・うーむ、本当にクジラ(少なくとも一角)は確かに知能が高いのかも知れないなぁ。
・雌のナンパにも使うよ。
・ああ、やっぱり、そこはやはりケモノですな。勝者に対しての行動と同じく背中をころころする。
・子育てで発見があったので3部を見ろ。というわけで見る。
・次回はエゾジカだよ(広告の代わりか)。角は1年で生え替わる。抜ける瞬間の映像がこれだ。……びっくり仰天。赤くて丸い跡が残るのか。というか、1年であんなにでかくなるとは。あるいは群れが知床を駆け巡る姿は、まるでサバンナ状態。知らないことがたくさんあっておもしろいな。
・3部。母が子供と2人で泳いでいる。母離れに2年かかる。
・雄が近寄ってきた。これは危険だ。というのはクジラは出産後、雄は子育てに一切協力することはないので云々かんぬん。
・が、一角は違うことがわかった。
・雄が子供と併泳を始めるとメスは遙か深海に潜っていく。多分、子供がついてこられないので、オスに子供を預けてエサを取りに行くのではないか? (深海で何をしているかまではわかっているわけではなさそうだ。エサは、鱈が好物とか別の個所で言っていた)
・オスはメスが帰ってくるまで子供を背中に乗せて泳いだりして遊ばせている(というようにおれには見える。ナレーションでは当然、背中に乗せて泳いで待っている、というニュートラルな表現。しかひ食べるのでもなければ争うわけでもなく、飯を食わせるわけでもなく、単に背中に乗せて海面を適当に泳いでいるだけなのだから、遊ばせているようにしか見えない。メスと交代でどうしたというと皇帝ペンギンの子育てを思い出したが、あれは明白に卵を温めていたけど、一角のはなんで背中に乗せる意味があるのかとか考えると、遊びだよなぁ)。
・江戸時代に、海外の諸文献をもとに一角を調べて書いた本が残っている。双角についての記述まである。どうも世界で一番、一角に詳しかったのは江戸時代の日本人のようだ(とは言え、イヌイットのほうが詳しいだろう)。大黒屋光太夫みたいな連中が北極海をうろうろしていたのかなぁ。
というわけで、すごくおもしろかった。勝敗にルールがあるというのが特におもしろい。
承前)なお、上では「バグ」と一言で表現していますが、実際には一言で割りきれるような障害はほとんどありません。このため、少なくとも自身が経験を積んだ開発者でない限りは、安易に「バグ」という言葉を使ってはいけません。
たとえば、プログラムAとプログラムBの2つのプログラムを組み合わせて利用している状況を想像してみましょう。このとき、Aのバージョン1とBのバージョン2の組み合わせでは問題は起きていなかったとします。しかし、別のプログラムCを導入するために、Cが要求するプログラムBのバージョンアップを行ってバージョン3を導入したところ、プログラムAで例外が発生するように変化したとします。この状態をさしてプログラムAで例外が発生していることから、プログラムAにバグがあると表現するのは間違いです。少なくとも、筆者がAの開発者であれば、「動作保証しているBのバージョンを変えたのは利用者なので、問題の責任は利用者にある。したがって、一義には利用者が自分でBのバージョン3に対応すべき」と考えます。つまり、この場合のバグは、利用者の利用方法で、例外となったプログラムAはむしろ利用者のバグによる被害者です。
したがって、最終的にプログラムAの開発者にサポートを依頼するとしても、「バグ」という表現は避ける必要があります。
(なんか、無用なことを書きすぎたので没)
使い方のバグだろうが、プログラムのバグだろうが、呼び出し方のバグだろうが、なんだろうがバグはバグじゃん。それをバグと呼んで何が悪い?
電子レンジにネコを入れて乾かしたら死んだ(赤ちゃんを電子レンジで殺害した事件から考えると、破裂したりせずに内臓が強く損傷して死ぬらしい)。かわいそうに。当然、電子レンジのバグなわけじゃん。→ というところから原因を追及していって、「電子レンジの」使い方の「バグ」ということがわかるわけで、それが重要なんだから、バグをバグと呼んで何が悪いんだ?
石油ストーブに、ポリタンクに入った燃料を入れて点火したら爆発した。当然それは石油ストーブのバグだ。→というところから原因を追及していって、「石油ストーブに」石油と間違えてガソリンを入れるという「バグ」ということがわかる。そういうおっちょこちょいがいるということがわかったおかげで、取り扱い説明書に、「石油以外を入れないでください」と書けるようになる。これも、バグをバグと大声で騒ぐ間抜けがいるからこそできることだ。
というわけで、原因はわからなくても、ひとたびコトが起きたら、その事象の中心に存在する事物のバグとして大声を上げて何が悪いのか?
という考え方も、もちろんある。すばらしいことである。
でもね、おれはまともな考え方(saneな考え)をしたいわけだ。
ある問題が起きたら、大騒ぎすること自体はまったく悪いことではないどころか、とっても良いことだ(でも脆弱性の報告は別口で)。
でも、それを「中心にある事物のバグ」と呼ぶのにはまったく賛成できない。
なんで何が原因で、あるいは何が起きたのかわかってもいない時点で「バグ」なんていうジャーゴンを使う必要があるのだろうか?
報告は冷静かつ正確に。
「viにバグがあります」という報告には何の意味も価値もない。
「パスワードを変更したくて、vi /etc/passwdとしたけど、パスワードらしき項目がありません。ファイルの内容を表示できないviのバグです」
おしい。最後の一言が余分だけど、何が問題(あるいは何をしたい)かがわかった。そういう場合は、passwdコマンドを使いましょう。
というような話ですな。
ジェズイットを見習え |
酔っ払い頭で見ていたので冒頭のあたりしか記憶になく残念な思いが。再放送があったら見てみます。<br>その後の中尊寺金色堂の番組もなかなかよかったですよ。
実は、そのまま金色堂も見てしまいました。確かに、これもおもしろかった。京都を通さずに宋と直接貿易をしていた=宋人に金色のお堂を作っていることが知られている=マルコポーロの記述、というのや、奄美大島で平安時代の地層から大量の夜光貝の貝殻発見→金色堂の材料、とか驚きの連続でした。