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おそらくそれほど、年齢が離れていないように思えるので、言葉に対する感覚はおれに近いと思うのだが(真逆を気持ち悪く感じるとか)、それでもムムリクさんと異なる感覚もある。
「否が応でも」
岡本綺堂、1939年に東京高輪に生まれる。
辻潤、1884年に東京に生まれる。
石原莞爾、1889年に山形に生まれる。
織田作之助、1913年に大阪に生まれる。
小栗虫太郎、1901年に東京神田に生まれる。
「否でも応でも」
有島武郎、1878年に東京小石川水道町に生まれる。
宮本百合子、1889に年東京に生まれる。
夏目漱石、1867年に東京牛込馬場下横町に生まれる。(厭が応でも表記もある)
久生十蘭、1902年に北海道函館区に生まれる(中学は東京の聖学院中学)。
おれの爺さんは明治に東京神田で生まれたからこのへんの人たち(大阪や山形もいるけど)と同じ言葉をおれに喋っていたわけだ。ミームとしておれに受け継がれる。
つまり、おれには、ごくごくナチュラルな言い回しだ。
もちろん、「否応」の口語表現(崩した話し言葉)だから、辞書に出ていないのはある意味当然であるけれど、今となってはむしろ文章表現となってしまったのだろうか? 言葉の変遷はおもしろい。
#ふと気付いたが、正式には否に「いや」という読みはない(「いな」はある)。なので、嫌や厭を当てるのはわからなくもない(岡本綺堂は忌を当てる時もある)。一方、「おう」は文句なしの音読みだ。したがって「否応」という言葉は本来の読み(「いなおう」)がなまって「いやおう」と変化したのだと考えられる。どちらにしても、湯桶読みはクズだ。ゴミだ。日本語の恥だ。したがって、いなおうはもとよりそれが変化したいやおうも忌避されて、いやでもおうでもや、いやがおうでも、と開くことが行われたのだろうなぁと推測してみたりするのであった。
ジェズイットを見習え |
確かに「否(いな)」なので、それはありそうな話ですね。<br>うーん、おもしろい。