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妻が図書館から借りてきて読んでいるうえに、子供まで読んでいたので、おれも読んだ。なかなかおもしろかったし、それなりの感慨もある良い作品だった。
ポーラをさがして (子どもの文学―青い海シリーズ)(さな ともこ)
主人公は小学6年か5年の女の子。塾に通っている。どちらかというと落ちこぼれた子供用の塾だが、というのは教育方針が自由第一だからだ。
とはいえ、その自由は、学問の自由により人間は自立するということを意味するのだが(主人公はなんとなくは理解しているが、納得まではしていない)、そこで主人公は同じクラスのしかし疎遠な子と仲良くなる。疎遠なのはクラスが異なるからだ。
主人公は(この本、読み終えてからいろいろ考えてみたが30年くらい前の本ではなかろうか、返してしまったので確認できない)中流家庭の子供でおそらく父親(作中でほとんど不在な点がまさに中流っぽい)は勤め人、母親は専業主婦。私立の中学を受験するつもり。クラスには仲良し友達が3人いて、いずれも幼稚園からの友達だ。運動系、ピアノ系、(一番中庸な子は忘れた)、がいずれも系統から見えるように同じクラスに属する。
ところが、塾で仲良くなった子は(そこは曖昧に書かれているが)おそらく母子家庭で、塾の月謝の捻出にも苦労している。主人公にとっておにぎりというものは、母親が作ってアルミホイルで包んだものだが、塾で仲良くなった子にとってはコンビニで買った品名を書いたシールが貼ってあるものだ。
というような違いに主人公は気づき、クラスというものを漠然と意識するようになる。
というように、まさにYAものの王道を進みながら(性についても多少出てきたりいろいろ)物語は、迷いネコのポーラを探す旅に突入する。
探しているのは、広いマンションに住む紫のカーデガンを着た上品な老婦人だ。
さらに物語は嫁姑問題や、老人性痴呆の問題なども抱え込みながら突っ走る。
世の中は難しい問題をいろいろ抱えながら、しかし進んでいく(それも結構しぶとく)と終わる。最後に見事なイラスト(挿絵画家がきちんと本を読んで書き分けているのには感心する。丁寧に作られた良い作品だが、それだけに後述の粗が目についた)が入り、それほど悲観的になることはないということも告げる。
小中学生には良い本だろう。
粗はあって、お金持ちの描写があまりにステロタイプな点はひっかかりまくった。特に車に乗ってフレンチレストランへ行って、食前酒にワインを飲み、食後に子供たちを送り届けるって、それは飲酒運転で(なんの悪気もなく描写されている点からは)編集者も作者も「お金持ち=外車=フレンチレストラン=ワイン」というステロタイプだけで流してしまったことが良くわかる。まともな子供向けの本にそういう犯罪描写を入れるのは良くないことだ。
それにしても、と以前読んだ風力鉄道に乗ってでも感じたが、主人公を優秀な子供にせざるを得ないのは、児童文学の対象がまともな書籍を自ら読解する能力を持った子供、という現実があるからだというのは理解できるが、(抽象化された世界で多様な価値観を示す風力鉄道と異なり、本書が)本来語り掛けるべき対象(つまり、学問により自由になるべき人間)は、主人公の側ではなく、主人公の塾の友達のほうだし、この本が送るエールは主人公ではなく、主人公の塾の友達のほうで、しかしそれは読者とはなりえないという矛盾だ。まあ、でもそうやって世界は回るんだからしょうがないことだなぁ。
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