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こどもがこの文を読めという。
「正しい文が書けるのは文法のおかげです」
読んだ。
おかげって変じゃん、と言う。
どこが? おかげ参りじゃ変じゃないかってこたないなぁ。ええじゃないか。
でも、正しい文は文法とは独立して成立できるから、別におかげってこたないじゃん。(という意味のことをいう)
いや、おれはそうはかんがえない。文法は規範または指標であり、それによって正しいかどうかが決まる。その文が正しいと評価できるのは文法のおかげであり、指標があるから正しく文を書けるがゆえに正しい文が書けるのは正しく文法のおかげだ。
いや、それはおかしい。正しいかどうかの評価基準として文法があることはそれを認める。しかし、書くことに文法は寄与しない。
それは違う。確率的に猿にペンを与えれば、リヤ王が書かれることはあるかも知れぬが、それは偶然であり、ここでの命題とは関係ない。人が正しく文を書けるのは間違いなく文法のおかげである。
いやでも、おかげというのはおかしい。なぜ、文を書くという行動に対して文法の強制による正邪の判断が必要なのか?
それは文法の意義を正しく捉えていない。規範とは言うなればお猿電車のレールである。文法があるがゆえに、そこにある契約書やここにある連絡事項やこの法律を、教育を受けることで等しく記述でき等しく解釈できることが保証できる。まさにお猿でも電車を運転できるのがレールのおかげであるのと同じことである。
納得いかないからもういいや。おかげなんてごめんこうむる。
ジェズイットを見習え |
お子さんの仰りたいことは思うに、「lint/validatorがあれば正しいコードが書けるって?バカいってんじゃないよ」ってことでは。<br><br>蛇足ですとvalidatorの入力は文法とは限らなくて、例えば最近のHTML5系の仕様は「正しい文とはなにか」をアルゴリズムで判定するようになってますね。<br>HTML5の件のアルゴリズムは巨大で例として微妙なので、例えば URL の parse 仕様: http://url.spec.whatwg.org/#parsing<br><br>個人的には人間もアルゴリズムベースでパースしてると思うので、その点でもお子さんと同感。「文法」ってのは人間の生成と解析をリバースエンジニアリングした虚構だと思ってる
いや、多分、もっと子供っぽく「おかげ」なんて偉そうな言い方するなバカ! ってことだと思うよ。
あと、おれは文法も法のうちだと思っているし、それなりに安全に暮らせるのが法治によるように、人間がバベルの塔に住まなくて済むのは文法のおかげだと思っている。が、崩すのは大好きなんだなこれがぽん。
じぶんの外部にある(言語学者なりによって)記述された文法なのか、脳内に組み込まれた言語生成装置の法則性としての文法なのかという問題でしょうか。第一言語であれば前者がなくとも正誤判断は(おおむね)可能なので違和感があったのかもしれません。(書き言葉は外部の規範性とそれを再現するための訓練が多少必要ですが。)<br>一方で後者がないと単にでたらめが生成されるだけなので、正しい文には文法が必要だともいえます。<br><br>物理学が世界の有り様からそのうちにある物理法則を見つけ出そうとするように、言語現象から(存在するはずの)文法(やその他の法則性)をなんとかして再現しようとするのが言語学の営みだとおもっています。
それですね。卵と鶏の関係や、文法が法として成立する前の文章(例えば源氏物語)などいろいろ検討したので、自己の内なる文法と、外ざしされる文法の違いを無視して「おかげ」と表現することが許しがたかったみたいです。しかしその自己の内なる文法はアプリオリなものではないですからね。<br>リンゴが落ちるのはニュートン物理学のおかげではないとか。