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シネマライズでハッシュパピー。
予想以上におもしろかった。
予告編を観ると、南太平洋あたりの父が見守る娘の成長物語(割と素朴)のように見えたが(そして、ある面それを期待して行ったのだが)、娘の成長物語なのは正しいとしても、まったく意表を突かれる魔術的リアリズム映画だった。
ただ、魔術の導入がうまいなぁと思うのは、視線が常に娘(役者が6歳らしいので、それと同世代として、幼稚園の年長くらいということだ)にあり、そしてそれは実際に子供と話すとわかるのだが、子供の物語る日常はどんどん尾ひれがついて膨らんで、針小棒大、どこまでホラを吹いているのかどこまで本気なのだかわからない世界になるのだが、それを見事に脚本化、映画化していることだ。そこにほとんど不自然さがなくつながっているので、いかんなく魔術が繰り広げられる。それにしてもサンダンススクールは(そつがないと言えばそつがなく、破綻がないといえば小粒というように悪くも言えるのだが)良い作家を生み出しているものだ。
というわけで、あまり深く筋道を考えずに、ありのままに映画を受け入れて観るのがあるべき鑑賞態度なのだろうが、そうは言ってもおもしろい。
雨が降れば教師(教師なのか魔術的医師なのかさっぱりわからないが、病名をみて薬を調合しているその薬が訳がわからないものなのは、子供視点ならばそう不思議ではなく)から聞かされた南極の氷が解ける話と結びついて集落大崩壊となり、教師から聞かされたかって地上に存在した大いなる獣は子供を食べにやって来るし、父親から聞かされた母親とワニのエピソード(ここのシーンはおもしろい)が母親探しの旅に結合する。
それにしても、映画館に入ると、百年の孤独のポスターがいきなり目に入り、舞台ではただのウェディングケーキの土台に過ぎないにしても、想像ではバベルの塔だというのがやたらと印象に残り、まさかそれと結合する内容となるとは想像もしなかった。
しかも、映画が終わって、タワーレコードへ行くと、そこでは田園に死すの予告編が繰り広げられていた。なんと世の中は魔術に満ち溢れていることか。
タワーレコードを眺めた後にイタ飯を食って、ハチ公バスに乗ろうと待っていると、母娘(4歳くらいか)とオーストラリアから来た白人老夫婦が後ろに並ぶ。何気なく話を聞いていると、そこへは不在の父親の父母らしい。
バスの中で娘がはしゃぎまくって大声でしゃべりまくるので、うるせぇなぁと思っているのだが、しかし話がおもしろい。
向うから赤いバスが来ると、赤いバスに乗りたいなぁ乗りたいなぁと連呼しているうちに、家に帰るにはそれは無理とはっと気づくとか、なんか見るものが楽しくてしょうがなくて黙っていはいられない(その原因が祖父母がやって来ているということにあるらしい)というのがありありとわかるので、うるさいのだが、まだ物語が続いているものとみなせばむしろおもしろい。
というか、不思議になるのは、同じように騒いでいても単にうるさいだけという状況も多いわけで、何が違うのか。
時々、母親が静かにしなさいと注意する。その瞬間によってはなぜだと聞いたり、すぐさま黙ったりするのだが、何かちょっとしたトリガーでまたしゃべりだす。すごい大声で。しかし、おもしろいのは、そこでしゃべる内容にストーリーがあるからのようだ。
そこで、以前、地下鉄で遭遇したうるさい子供を思い出す。
電車のアナウンスが入る。次は白山。
母親がここで降りるのだと告げると、大声で、「次は白山、次は白山、ここで降りるよ。でも、お家は稲毛」。
このセリフがおもしろかったので印象に残っているのだが、そんな感じだ(だが、セリフはすべて忘れた)。
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