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放射能といえば、巨大生物パニック映画だよなぁとか考えていて、何か呟いたらusaさんから逆に小さくなるのは無いか? と聞かれた。
元々、プルトニウム人間の系譜を考えていたこともあるし、キングコングの昔から映画はでっかな化け物が大好きだから、小さいのは無いだろうなぁと答えた。それに特撮はでっかなものを1つ入れるほうが簡単だという技術問題もあるはずだし。
でもウルトラQでも人口爆発に対応するために人を小さくする話はあったじゃんと返されて、ちょっと考えた。でも、今になってあらためて考えてみれば、あれは新聞記者の2人を除いてみんな小さくなるんだから、映像/技術的には2人の巨人だよな。サンダ対ガイラじゃないけど。
が、そのうち、頭の中にあるSF事典がリチャードマシスンの項目で止まった(最近は検索のディレイが結構ある)。
そういえば、縮みゆく男があった。
読んだことはないが、普通の人間が変形する話で、50~60年代の作品なら、放射能が原因に決まっている。で、アマゾンでリチャードマシスンからたどって見ると、確かに放射能の霧を浴びたことが原因になっている。で、お題はクリアしたが、Kindle版が結構安かったこともあって、せっかくだから買ってみた。
で、今日は体調が良くなくてごろごろしていたので読んだのだった。
やっぱり、マシスンは普通じゃないや。おもしろかった。
縮みゆく男 (扶桑社BOOKSミステリー)(リチャード・マシスン)
放射能の霧にやられて(というのが、第五福竜丸(こちらは雨だが)で有名になったこともあって、50~60年代には生物が変形する物語が作られたのだった。これが日本や米国ではトラウマとなって放射脳がたくさん生まれる原因となったわけだろうが、ビキニあたりでの実験の経緯やずさんな管理を知ると実にひどい話だ)直前に被った農薬が変化して代謝機能に作用して一日あたり3.6ミリ縮むことになった退役軍人(なんでこういう設定なんだ? と思ったら、社会的に重要な意図があることが解題に出ていて納得した)の悲劇の物語だ。
冒頭の霧を被るシーンが終わると、すぐに舞台は1.5cmで、あと数日で消えてなくなる運命を怒りながら、蜘蛛に追っかけられて逃げるところとなる。
蜘蛛と戦い、巨大な日常用具に囲まれて必死に生きる描写と、どんどん縮むために、職を失い、家族関係が破壊され、見世物のように扱われたり、子供扱いされたり、変質者に狙われたり、不良の餌食にされかけたりと、社会から疎外されていく経緯が交互に語られる。おもしろい。
しかし読んでいると、異様なまでのショービニズムというか、マッチョ思考が支配していて違和感がありまくる。男はでっかくて逞しくあるべきなので、妻よりも小さくなることでどうしたことうしたというような心理描写ががんがん出てくる。いや、普通はそうは考えないだろうという常識が最初に来るので説得力がないし、まったく共感できない。
さらに変質者がステレオタイプな小児対象のホモということになっていて、こういう書き方がまた良識ある現代人のおれには不快感が湧く(片言のフランス語を混ぜてしゃべるのだが、そうそう、そういう記号があったなぁと思い出したり)。
しかし、読み進めているうちに、50年代のアメリカの価値観がわかってきて(というか知識としては知っていることなので理解はできる)、その思考法にしたがって読めるようになってくると、主人公にまったく共感できないのは変わらないが、思考方法を理解はできるようになってくる。
主人公が置かれているのは実に恐ろしい状況であった。(物理的には蜘蛛だったり、変質者であったりするのだが、身体が縮むことはそのままアイデンティティの崩壊なのだ)
リチャードマシスンは大したやつだ。書いた時代は50年代だし、設定はB級SFだが、ちゃんと思弁的な意味でのSFになっている。
Kindle版には珍しいことなのかも知れないが、90%までで本編は終わり、残りに解題、訳者解説、おまけに町山智浩の解説がついている(目次を飛ばして読み始めたので、そういう構成とは知らなった)。
解題はランボーの作者のマレルで、これが読ませる。というか、おそらく必要だったのだろうということは上で書いたように、本編には違和感があったから理解できる。紙の本なら、最初に解題を読んでから読むことになるだろうし、そのほうが良いだろう。主人公の思考方法が書かれた時代にマッチしているので、おれと同じく読んでいて違和感を持つ人が多いことは想像できる。マレルはそれを補おうとしている。
40年代に太平洋戦争か、第二次世界大戦か、どちらかに通常は行き、そこで英雄となって帰還した若者たちは、50年代に会社員として暮らすことになる。冷蔵庫を始めとした電気機器や家具に囲まれた生活だ。テレビから流されるホームドラマは良き夫、良き父親のテンプレートを植え付け、それが規範として流通する。しかし、その生活を維持するのは難しく、しかも戦場とのギャップは大きい。
さらにマレルは論を進めてシシューポスの神話と対比させる。
説得力がある。というか、ランボーって妙なシチュエーションの妙な映画だなと思ったが(単なるマッチョ映画っぽく思えるのだが、実際に観るとちょっと違うのだ)、作者がインテリも良いところだったのか。
・邪悪なものへの崇拝-石がパンとなる-神殿から飛び降りる という設定にはまったく気づかなかった。聖書を自由に引き出せないといろいろ読みすごしてしまうのだなぁとつくづく感じた。
・異形の者との出会いで一段成長するところは、美しい。
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