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日々の破片

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2014-03-16

_ 死の都

土曜日は、新国立劇場でコルンゴルトの死の都。

まさか、生きている間(というよりも、さらに未来になればなるほど消える可能性があるのだから、死んだ後も同じか)に死の都を日本の舞台で観られるとは考えもしなかった。素晴らしい。

まず何よりも、舞台美術の美しさに身悶えする。奥行を出すために奥に向かって狭くなる室内空間を作り、左右の壁の棚はフォトスタンドなどで埋め尽くし、床にはガラスのドールハウスのようなものや、赤いバラの花瓶、小物入れなど。中央にベッド。天上は1幕では平面だったように思うのだが(あいまい)、2幕では夜の光が差し込む穴があく。奥は、1枚1枚に高さがある鎧戸のようになっていて、向うにブルージュの街並みが俯瞰で見えるときがある。最初写真のようだが、2幕では立体的な街並みとなり、3幕になるとお祭りの行列が見えるによう開放される。

全体は白いのだが、1幕では死者の部屋、2幕では夜の水の上、3幕では現実の赤い夢とそれから覚めた後の白々とした日常色に変わる。

マリーは線の細めな黙劇の人が、最初はベッドにカバーで覆われている。途中から歩き出す。マリエッタは赤が印象的な(バラの花と、彼女だけが赤い)登場の仕方をする。お金持ちなのねなどとセリフの端々にマリエッタがマリーの反対側の存在だということを示す。

物語はローデンバックの原作とはいろいろ変えてある(むしろブリュージュである必要すら無い……だからタイトルにブリュージュが付かないのかも知れない)。

死都ブリュージュ・霧の紡車 (1984年) (フランス世紀末文学叢書〈8〉)(ジョルジュ・ロデンバック)

1幕。ブリギッタの歌手が実に良い。パウルのケールという人は癖がない歌手なのかな。良くわからない。マリエッタのミラーという人の歌は硬い感じできれい。Gluck, das mir verbliebの始まる直前、マリエッタがちょっと早めに出そうになったのかな? というところはあったが、悪くない。1幕を通して聴くと、実はそれほどメロディアスではなく、むしろ音色旋律に近い作りで、劇中歌だけが歌として成立しているように感じる。それにしても地の部分と盛り上がりの曲としての演出がしっかりしていて、なるほど、これは20世紀的で映画音楽の始祖だなと感じる。

2幕は、ピエロの歌が素晴らしくて(友人のフランクの二役というのは後で知った)、こんなきれいな歌が隠れていたのかとちょっと驚いた(というか、Gluck以外にも歌があるのか)。最後に女声コーラスが入るのだが、それが最初の合唱で実に効果的だ。ピエロに歌わせるためにマリエッタがライン育ちは歌がうまいからというような台詞を歌うがそういう言い伝えがあるんだろうか? ローレライかな。その後はラインという言葉に引きずられて、どうにもジークフリートのように聴こえてくる。ただ、後半はおそらく本来はもっと官能的な音楽(ちょうどトリスタンの2幕みたいに)となるべきなのだろうが、そこまでではなく、そうすると動きの少なさが目立って退屈した。

3幕は曲がすばらしい。オーケストラが高揚した直後に金管が抜けたところでマリエッタが歌い出す。歌の最後のほうでヴァイオリンのソロがからみあって(一丁ではなく、三丁くらいあるように聴こえた)異様な美しさがある(ここに限らず、弦の鳴らし方が美しい)。そこから本格的な合唱が入る。ブリュージュの祭りらしい。

パウルによる実に自分勝手でショービニスティックなセリフがあり、マリエッタによる抵抗がきて、絞殺する。

そこで、夢を壊した現実の夢から覚める。1幕は現実なのだが、それは死者と共棲する夢で、2幕と3幕の初めは夢なのだが、それは生者の夢で、その夢が死者との共生を破壊して、その夢から覚める。さて今は本当に現実なのだろうか。演出の照明の使い方は現実の現実を示す。

Gluck……をO Freundに変えて歌い直す。明るくすっきりと。同じ曲を2回使うのか、まるでリゴレットのようだというか、これだけ流せば印象的だなとコマーシャルな作り方をちょっとおもしろいなと思ったら、さらに生が死を分かつときと最初のGluckのほうに戻してもう一度。きれいな終わり方だが、意味深だ。と考えながら聴いていると、終わっていないのに盛大に拍手が始まってギクっとした。集中して聴いているのにノイズが入るのは心臓に悪い。

3回目の歌詞が、翻訳のせいか、それとも本当にそうなのかはわからないが、普通の言い回しとは逆転していて興味深い。

死が分かれをもたらすのではなく、生が別れをもたらすという感覚(そこがパウロの持つ夜郎自大っぷりとも言える。実際、彼は生きている間にマリーをどう扱っていたのだろうか。常に中心に自分があるので、マリーの死=死が分かつではなく、自分の生=生が分かつということになるなのだろう。もっとも、このような極度な自己感触の肥大化が世紀末芸術の本質なような気がしてきた。なるほど1914年が待っていたはずだ。で、この作品は1920年、作者23歳のときだが、準備に4年かかったとあるので作り始めたのは10代からだ)こそが、パウルがブリュージュに隠棲していることなのだから、友よと歌ったあとに、この歌詞が出てくることは少しも解決になっていないようにも感じる(おお友よの明るさに比べると、再び陰影が生じている)。

そうか、今年は1914年からの100周年なのか。

トラストD.E (1957年)(イリヤ・エレンブルグ)

追記:1幕、2幕、3幕、すべてが50分という時間設定には感心した。良くそんな作り方ができたな(というか、したな)。


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