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計数至上主義の人の書いたものを読んでいて、ふと考えたが、定量的評価ってすさまじく割に合わないものだな。
まずそれは短期にしか役に立たない。定量的な結果が出て是正されたらそれで終わりだ。
次に虚しい作業かもしれない。定量的な結果が出ても是正されなければ無駄になる。
そして計数のための条件は明らかにする必要があるから、上で是正するのに利用されなかった定量的な評価は潰しが効く可能性が低い(100年前の評価が現代に使えることは無い)。
これだけ割りに合わないゆえに、計数至上主義者は富士山よりも高い志と鋼よりも固い信念を持つことになるのだろう。そうでなければやってられない。(ソフトウェアのパフォーマンス改善のような分野なら定量的評価以外に意味はないけど、もっとマクロな領域についてのお話である)
ところが定性的な評価は逆だ。
まずそれはすさまじく長期にわたって役に立つ。というか適用できる。3000年前の若者に対する評価(最近の若者はなってない)は、3000年たっても適用できる。お得だ。
次にそれは役に立つことがある。だから道徳教育をどうたらとか親学がどうたらとか江戸しぐさがどうたらで、ちゃんとお金が回っていることをわれわれは良く知っている。
そしてそれは何度でも利用できる。
さて、ここでさらに考える。
定性的な評価がなぜ役に立つのだろうか?
1つは、人は言葉を読むのは比較的得意だが、数字を読むのは比較的苦手だ(と定性的な評価をできるということは、極めて低コストというメリットもある)。
そこで人を動かしやすいということはある。
良く、ケネディは数字を交えて演説して、それは人を動かすにどうしたというような教えをすることがあるが、というかおれはされたが、実はそれは単に人々の定性的な評価を裏付けたり、利害関係に乏しいトリビア(こういう常識があるけれど実はこうなのだ系。例:若年層の太平洋戦争後の犯罪発生率の推移)の場合に、耳目を集めるためのトリガーになるだけで(ダシというやつだ)、肝心な主張は定性的な評価に基づくものだったりする。まあ将来予測になったりビジョンを示したりするので、まだ計測できない世界について語るためのダシなので当然ではある。
で、リフレ政策だ。
リフレ政策って一言で済ますと、中央銀行がインフレにするぞ金利はマイナスになるぞ、と呪文を唱えると、人々がそれはやばいとお金を市場に放出するという政策だ。
これこそまさに定性的評価こそ世の中に影響を与えることができるということではないか?
それは現在の数理モデルに基づく経済学の人たちがばかげていると一笑にふして転落していくスェーデンになるのも無理はないかも知れない(最初に書いたように計数主義の人たちは定性的なものに極度に反発するからだ)。
というわけで、ソフトウェアの領域は話が早くて良かったねということだ。
ハイパフォーマンス ブラウザネットワーキング ―ネットワークアプリケーションのためのパフォーマンス最適化(Ilya Grigorik)
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