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突然思い出したが夢野久作に火星の女という作品があるが、なんの関係もない火星の人を読了。
ほとんど一気読みだった。いやー、堪能した。
たった一人で火星に取り残された宇宙飛行士が持てる知性を振り絞って生き延びる話だが、小説としての構成も良ければちょっと不思議な翻訳調も良く(原文は見てないし興味もないから知らないが、火星探検の自由フォーマットのログ形式をとっている部分では、敬体常体混交文になっていて、それが実に良いリズムを産んでいる。ということです。
poppenさんが最後のほうでは思わず涙とか書いていたが、なるほど、わかっていても思わず涙の感動であった。
読んでいてメタに2つのことを考えた。
1つは、無線技術の素晴らしさだ。いや本当に素晴らしい。
なんかたった一人で創意工夫をこらしながら生き延びるのっておもしろいなぁと読んでいて、あれ、この感覚は遥か昔に(もちろん最近だとゼログラヴィティとかある)味わったなぁと考えて、月は地獄だ(これは一人じゃないかったような)とかよりももっと昔、もっと子供の頃、そうだロビンソー・クルーソーだと思い当った。
ところが、そう思いながら違和感がある。ロビンソン・クルーソーは一人なのだが、こちらは地球でのNASAの職員たちの活躍も描かれている。
17~18世紀とはそこが違う。ロビンソン・クルーソーの救出に本国の人たちが動くはずがない。だいたいどこにいるか見当もつかないし。
ドリフターズで織田信長が魔導師の無線技術に心底感心するくだりがあったが、同じタイプの読み物のプロットが大きく変わるのも当然だった。
もう一つは最後のエピローグ的な独白のところだ。
死んでも当然の任務に望んでついた宇宙飛行士を助けるために何億ドルもの経費がかかったけど、それは人間だから当然だろうなぁと主人公が感慨を覚えるところだ。
いやいや、アメリカ人、それは違うぞ。自己責任という見殺しOKの呪文の国なら、君は帰って来ることはなかったよ。何億ドルだからな。
と感動しながらどうにも陰鬱な気分にもなった。
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