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11日は、運命の力。これは完全に初見で、粗筋もその場でプログラムを眺めて知った程度。なんかやたらと人間関係が複雑そうな印象を持っていたらそうではなかった。
一見すると筋は通っているのだが、おそらく途中で作り直しを何度もしているように思う。早い話でたらめで、そのでたらめっぷりはイルトロヴァトーレを越えるし、最後の無茶な終結っぷりはドンカルロスよりもひどい。
幕があくと、若い女性がどきどきしている。今夜は駆け落ちする日なのだ。そこに親父がやって来て、どうやらお前もあの卑しい者をあきらめたようだなと説教する。親父出て行く。小間使いがいよいよですねと言い出す。すると若い女性(レオノーラ)は、唐突に逡巡しはじめる。遠くから馬が近寄って来る。男(ドン・アルヴァーロ)登場。さあ、出発だ。ちょっと待って、お父様にあいさつをしてから。はあ? そうね無理ね。では明日ということで、はあ? というとんでもないやり取りになる。レオノーラってバカなのか? と見ていていくらオペラでもここまですさまじい薄ノロは滅多に見られるものではないと呆れかえってしまう。そうやってのろのろのろのろしているせいで、当然のように親父再登場。ああ、お前は! するとドンアルヴァーロ、ここは私に任せなさいといって銃を取り出す。きゃーとレオノーラ。いやそうじゃない、とアルヴァーロ。親父に向かって、私を罰して下さい。ほらこの通り丸腰です。と言って銃を親父のほうに投げる。すると暴発。このくそやろう、呪ってやると言い残して親父死ぬ。侍女があわててレオノーラを連れて逃げる。アルヴァーロ、茫然としているが、進退きわまって立ち往生しているうちに、場面転換(この場面転換はおもしろい)。
ここまで、アルヴァーロ役のトドロヴィッチの不思議な歯切れのよい歌唱になんとも言えない気持ちになる。不思議な歌だ。いっぽう、レオノーラのタマーは悪くない。
さて第2場、ロバ引きがやって来るので、宿場とわかる。ハゲの体格の良い男がどうやら、レオノーラの兄貴らしくて、家名に泥を塗りたくった妹とアルヴァーロを殺すために旅をしているらしきことがわかる。レオノーラがそれに気づいて歌を歌うが、どこにいるかさっぱりわからない(男装していたようだ)。
兄貴のフェリーチェが素晴らしい歌手。好きだなぁ。
一方、ロバ引きは日本人テノールらしからぬ、明るく気持ちよくはっきした歌で、最近の若い歌手(先日観た後宮からの逃走のペドリロ役の人もそうだった)は鼻にかけずにはっきりと朗々と気持ちよく歌うスタイルを習うようになったのかなぁとか思う。つまり好きだ。
そこにジプシー女(ケモクリーゼ。スタイルも良ければ声もきれいで似合っている)がいてスペインのために戦争へ行こう、敵を追い出せと、旅館の客たちにけしかける。うーん、どちらかというと、カソリックスペインよりもイスラムのほうが生活しやすいんじゃないか? と疑問に思うが、あまりそういうことを考えた脚本ではないので、愛国ジプシーということで了解する。
ちょっとエキゾチック混じりで合唱も良い調子ではいる楽しい曲。
一方、レオノーラは修道院へ逃げ込み、修道女になれという院長の言葉を即座に完全拒否し、岩穴に籠ることを宣言する。なんだかよくわからないが、どうも、自殺を認めないカソリックならではの、緩慢な自殺を意味するようだ(即身仏ほど過激ではなく、少しはパンを運んでもらえるらしい)。
休憩。
3幕になると、野戦病院(と、ベッドが並んでいるから思ったが、そうではなく、軍営らしい)で、いきなりアルヴァーロの長い述懐が始まる。作劇上はリゴレットのマントヴァ公みたいだな。
おれの親父はスペインによる圧制に怒ってインカ帝国を復興しようと母である王女と結婚した(ということは混血なのだろう)。しかしおれは赤ん坊のころに遠い親戚に身分を隠して預けられた。おかげでこうやって生きているが、両親は反乱者として断頭台へ消えた。
唐突に高貴(とりあえず王族だ)な身分ということが明かされた。
おれはすべてを失った。愛するセビリアとレオノーラ。
いつの間にか、こいつの中ではレオノーラは逃げる最中に殺されたことになっているようだ(それで探さずに軍隊に居るのか)。
と、あっという間に、いろいろな物語の説明を繰り広げるが、良い歌。
そこにケンカだケンカだと声がする。アルヴァーロは部下と一時退場。
次にアルヴァーロとはげ兄貴登場。
一体なにがあったんだ?
賭場のケンカだ。
なぜそんなところにいたんだ?
昨日来たばかりだ。
という訳のわからない会話をしながら、ケンカに巻き込まれて殺されそうになった兄貴をアルヴァーロが助けたらしいとわかる。
友情行進曲が始まる(が、ドンカルロのやつに比べるといまいちかな)。
で、敵が攻めてきて解散。
次に、アルヴァーロが担架で運ばれてくる。兄貴、命の恩人の貴官を救うためならなんでもするぞ、と意気込む。貴官は本当の英雄だ。カラトラーヴァ勲章(レオノーラと兄貴の家名)が出るぞ。なに? カラトラーヴァ? とアルヴァーロの顔色が変わる。なんと、こいつはおれの仇に相違ないとすぐに納得する兄貴。
それはそれとして、おれは死ぬ。と、アルヴァーロ。頼む。この小箱の中の手紙を燃やしてくれ。
そして医者が手術のためにアルヴァーロを連れ出す。
兄貴一人残る。
あいつは命の恩人で戦場の英雄だ。だが、カラトラーヴァと耳にした途端に青ざめた。やつが仇に間違いない。この手紙を読むと、きっとわかるんだろうなぁ。誰も見てないから読んでみるか。は! いかんいかん、おれが見ている。男の約束もしたではないか。いかんいかん、卑しい男になるところだった。ふむ、肖像画が入っている。これは見ないとは約束していないから見てみよう。なんと! レオノーラ! やっぱり野郎、アルヴァーロか。くそくそ絶対にぶっ殺す。
という誇りも高いがなんとなく下品な感じもする歌を歌うのだが、これが名曲。しかも名歌唱。すばらしい。
さて第4幕。修道士が貧民に修道院の残飯を配っている。もっとくれ、はやくくれ。と貧民が歌う。
あっちへ行け、この乞食。おまえらに食わせる飯はない。
なんて乱暴なこと言う坊主だ。あーあ、ラファエロ神父は良かったな。
ラファエロはお前らにお優しすぎてノイローゼになって引きこもってるよ、このくずめらめ。おまえらにやる飯はない。
その残飯をおれにくれ。
残飯だと? 施してやっているのに、なんたる言いぐさ、乞食め去れ。
なんだなんだ、この歌とやり取りは。
と唖然とする。運命の力という題名がそもそも反神学的だと思ったが、反カソリックのオペラなのか? と思っていると、院長が出てきて、施しは我らの勤めとか歌い出す。
が、残飯なのは間違いなさそうだなぁ。
ラファエロ神父は良かったなぁと歌う貧民たち。
修道士は院長にペラペラしゃべる。ラファエロに、やいインディオ野郎と言ったら怒り出しましたよ。きっとあいつインディオですよ。
なんだ? この差別野郎は、とびっくり。
そこに兄貴登場。どうやら先ほど噂のラファエロはアルヴァーロらしい(まあ、インディオとか突然言い出したわけだし)
かくして兄貴とアルヴァーロの対決となる。
兄貴が言う。やい腰抜け、ナイフを取れ。
おれは腰抜けではない! 血を見せてやる。いや、いかんいかん。私は聖職者。
やい、お前の両親もお前もくずだ。
なに! 家を侮辱したな。ぶっ殺す。いや、いかんいかん、私は聖職者。
という、らちが明かない繰り返しを何度も繰り返した挙句、結局、決闘になって場面転換。
岩穴の中のレオノーラ。
ここに来れば平安を得られると思ったけど、さっぱりだわ。なんてことなの。あ、そうか。パンを食べているのがいけないのね。
……いや、最初からそういう役回りだとは思っていたが、この歌詞はひどい。
何者? ここへ近寄るではない。
チャチャーン!
と、終結。
え、こう終わるのか。決闘の結果、どちらかが生き残ったけど、それは藪の中として観客に考えさせるのかな。
と思ったら、続きがあってアルヴァーロ登場。
なんだかなぁ。どう聴いてもあの最後でオペラは終わっているが、曖昧な終了を劇場支配人かリコルディが許さなかったのだな、と思いながら、見ていると、レオノーラとアルヴァーロ、再会に歓喜するが、兄貴を殺したというアルヴァーロの言葉にわれに返ったレオノーラは岩穴の外に倒れているらしい兄貴を見に行く。
きゃー。
実は兄貴は生きていて、家名を汚した妹を刺殺したのだ。もちろん、兄貴がすぐには死ななかったように、妹もすぐには死なずに、岩穴に戻って来る。
アルヴァーロとレオノーラ、さらには院長までやって来て(兄貴の死体は見なかったのかな?)、見事な三重唱が始まる。
音楽は素晴らしいが、話の乱暴さに唖然。
おれの予想だが、3幕になるまで、アルヴァーロがインカ人の末裔だと明かされないということは、企画段階ではシチリア生まれの美男子、激情家を想定(スペインハプスブルクから副王が来ているのだからそれほどおかしくはない)。話の大筋、復讐物語が決まる。
なんかいろいろあって、シチリアではつまらないので、インカ帝国にしてみる。
復讐譚だけだと暗くなる一方なので、口の悪い修道士を出して笑いを取ろう。ついでにカソリックの検閲が通りやすくなるように神を称えまくろう。でも、それやり過ぎると時代遅れだし。でも、題名は運命だし、院長は無力だし、実際、神は沈黙したまま(つまり死んでいる)から、観ている人は神を称えるふりしているだけとわかってくれるだろう、とか、いろいろ辻褄を合わせて作ったように思える。
脚本のひどさはこれまで観たヴェルディの中でも最高峰だ。ドンカルロスは最後が唐突なだけで、主人公の愚かさでちゃんと説明できるし、イルトロヴァトーレのでたらめっぷりはジプシーの母親の恐怖と復讐への妄念によるものだということでOKだし(それがマンリーコの実力過信も生んでいるとすれば)、でも、音楽は充実しまくっている。(最後はおかしいと思うけど)
演出はすっきりと、第一次世界大戦あたりに持ち込んでいて良い感じ。舞台の使い方はおもしろい(新国立劇場の奥行をうまく利用して2つの構成要素を組み合わせるようにしてある)。
指揮はテンポが実に良いと思った。あとはとにかく兄貴のフェリーチェが気持ち良い。
public void foo(String name) throws IOException { try (FileReader fr = new ...) { ... } }なのだが、上位で例外を掴んでログを取るときにちゃんとスタックトレースを残しておかないと、どこで死んだかさっぱりわからなくなる。
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