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友人の家で2015年2(3かも)のザルツブルク祝祭大劇場のカヴァレリアルスティカーナの録画を見せてもらった。
すごい!
指揮がティーレマンで、この人は顔つきが赤ら顔の酔っ払いぽくてイマイチ好きではないし、カウフマンは顔や演技は素晴らしいが声はしゃがれ声で汚いし、そもそもカヴァレリアルスティカーナはマスカーニの若書きだからメロディーはとんでもなく美しいがオーケストレーションも構成も単調で(同じセリフとフレーズの繰り返しが多い)、つまり面白くもなんともなさそうなわけだが、観てびっくり、こんな素晴らしい演奏は初めてだ。生涯のカヴァレリアルスティカーナのベスト中のベストだ。これに比べればシミオナートもテバルディもあったものではない。
まず、サンタが素晴らしすぎる。それはそれはおっかないサンタで見始めたのが(そもそもが、道化師見るかい? で始まったわけで、友人は僕がカヴァレリアルスティカーナを大して好きではないことを知っているので、頭出しをしようとしていたわけだった)、ルチア母さんのところにサンタがやって来るところからだったのだった。
まるで太ったあとに病気で死にそうになっているアンナネトレプコのようなおっかないメークのほとんどホラー映画の登場人物のようなリュドミラ・モナスティルスカ(この人、メトライブビューイングで何か観て声がきれいだなという印象はあったのだが)が素晴らしい。
惚れた女性が戦争から戻っていたら他人の妻になっていて、やけくそで村外れに住む八分扱いの孤児の女性に粉かけてしまったというトゥリドルの相手に相応しいのなんのって。迫真である。
一方、ルチア母さんがどうみても酒場の女亭主には見えない。タイプライターを前に事務机に座って眼鏡のインテリ女性で、ちょうどイェヌーファのお母さんのようである。当然、所属している層が完全に異なるサンタを汚らわしいものとして扱う。ひでぇが、ここまで強力なルチア母さんも初めてだ。
リュドミラもすごいがこの演出もすさまじい。
ばかみたいにワイド画面なザルツブルグ祝祭歌劇場の舞台空間を活かして、縦2層横3場の計6個のスクリーンを自由自在に開けたり閉めたりして場を作る。というか、歌手は次々と裏から別の空間へ移動するのだから大変だろうが、そんなことはお首にも出さない健闘っぷりだ。
馭者登場。というか、マフィアの親分じゃん。(ファルスタッフ歌手のすごい人。貫禄はマーロンブランドの3倍はある)子分のギャングたちもすごいぞ。
街の景色が右上に(これは画)で出る。
見たことがあるスタイルだ。未来派っぽい。縦の線。
思い出したが、パルコ出版のアールデコで見たリンドワードの神人の摩天楼だ。リンドワードかどうかはともかく、これで演出家が意図するのは1880年代のシチリアではなく、1920〜30年台のシチリアだということが明らかとなる。
ローラとトゥリッドはまるでラボエームのミミとルドルフォのように屋根裏部屋の窓から街を眺めている。
ルドルフォは典型的な失業者の風体で出てくる。無精髭、ランニング、作業ズボン。こうなると、カウフマンに敵はいない。汚いしゃがれ声かどうかはどうでもよくなり、サンタに暴力を振るいながら脅しつける役回りにぴったりだ。
退屈な音楽はといえばティーレマンが自由自在に音をつけてテンポを変える。こんな指揮もできるんだな(またドレスデンがちゃんとついてくる。時々カウフマンのテンポとあわなくなる感じはするが、それがライブだ)。
かくして、ギャングが支配する街でルサンチマンのとりことなった人たちがお互いを憎みあいながら一直線に物語が進む。
すげぇ傑作じゃん。
最後のママどいて、こいつ強すぎのところがまた冷酷な現実となる。ルチア母さんは立ち上がるとそっぽを向いて、どれだけ別れのキスをせがまれても、一切相手しない。カウフマンのトゥリッドは絶望のうちに腹をさされて教会の通路をのたうち回る。
サンタは成長した息子と平穏に?暮らしている。
マスカーニ: オペラ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」/ドーヴァー社/全曲版 大型スコア(-)
これは本当に素晴らしかった。
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