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ユーロスペースで、『チェブラーシカ動物園へ行く』と『ちえりとチェリー』。
目当てはチェブラーシカのほうだが、どちらも中村誠という人の作品。とは言ってもチェブラーシカはチェブラーシカだった(が、なんか意地悪婆さんの意地悪が甘く感じた)。
ゲーナさんが変な客の要求に合わせてポーズを取っているすきに帽子を盗まれたせいで風邪をひいてしまう。そのことを守衛に話に来たチェブラーシカだが、ワニの不在をライオンやらキリンやらみんな困っている(で、キリンがライオンにあんたが代わりにワニをやったら? と聞て、そんなことしたらライオンがいないことになるじゃないかと答える)のを聞いて、では僕がワニをやるよ、ということでゲーナの代役をやることになる。なぜかキリンだけ全裸で通勤しているのがおもしろい(他の動物と違って2足歩行すると首の長さが気持ち悪くなるか、または画面構成が取れなくなるからかな)。
なんか良い雰囲気なのは、写生に来た小学生の集団がみんなでチェブラーシカの絵を書いて教師に提出すると、教師が戸惑った挙句に、みんながこれをワニだというのなら信じるよ、とOKを出すところ。良い教師だ(次の日にはさすがにおかしいと考えて、生徒を連れて動物園へ行くことになる)。
それにしても、ゲーナとチェブラーシカの関係は不思議なバランスだ。父親と子供のようでもある(特に最後の家族団らんで、シャボン玉とチェスを同時にするところ)。部屋の壁には、小学生が書いた写生の絵がピン留めされている(と思う。確か最初のうちは部屋にそんな絵は無かったような気がする)。
で、まあ、チェブラーシカだったなぁと満足したところで、ちえりとチェリーが始まるのだが、うーん、これは微妙な作品だ。
孤独な少女のステレオタイプ(それはまあ良い)が、田舎へ母親に連れられてきて、親戚の子供たちと対立して、なんか気が強く口が悪い(折り合いが取れないのだ)、とまるで思い出のマーニーの簡略版みたいな様相なのだ(マーニーの場合、対立する子供は親戚ではないが)。簡略版なのはもともと尺が短いからなのだが、そのせいで極端なエピソードで進めるため、なんか出来の悪いマーニーみたいに見えてくる。
(おれは好きな作品だな)
部分部分でおやっと感じる表現があって、それは手の動きの美しさ(が不気味の谷に少し落ちかけている)で、ほつれた縫いぐるみのチェリーをちえりが縫うところとか、あと忘れてしまったが妙に白い手が画面上の主となる箇所あたりだ。
天井のカラスに見える浸みとか、縁の下への探検とか、土蔵とか、家の空間描写とか、印象的なシーンはある。
ターゲットが見えなさすぎるのが違和感の一番の原因のようだ。
多分小学校低学年以下としているのだとは思うのだが、それにしてはどうもおっかなすぎるところがあるように感じるし、それより上の世代とすると、マーニーがこけたように元々映画向きの題材とは思えないので何か今ひとつしっくりこないし、大人向けにしてはステレオタイプの度が過ぎて今二つ感がある(しらけてしまうのだ)。
まあ、そうは言っても思わず涙の一筋くらいは零れ出る程度にはタイミング良く決めのセリフを出したりはしている。
子供が後になって、飯を食いながら、母親と叔母さんで、造形はほとんど同じなのに、遥かに叔母さんのほうが可愛く見えるのはどうしてだろう? と不思議がっていたが、おれが気になった手の表現もそうだが、話よりも人形アニメとしての造形のほうが興味深い作品だったように思う。
・最後の主題歌が気持ち悪かった。
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