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18日は新国立劇場でルチア。
なんとなく19日のつもりになっていたので、ついマインクラフトを朝の8時までやって、さて寝るかと思ったら、なんと今日じゃん。
というわけで1時間くらいしか寝ずに観に行く。こりゃドニゼッティ(ベルカントはそれほど好みではない)だし、高いホテル代(休憩時間)になりそうな嫌な予感がする。
新制作だし、好き好きを問わずにかかった演目は観る(金を落とす)のは国民の義務みたいなもんだと思うから行くわけではあるが、カラスで聴こうがネトレプコで聴こうが狂乱の場もさっぱりおもしろいとは思わないわけで(ドゥセのヴィデオは別の意味ではらはらしながら観てしまうのでちょっと違わなくもない)、そうとうに不安である。いびきとかかいたらさすがに礼をかき過ぎだし。
が、始まって驚いた。
序曲からすばらしい。実に巧妙な曲じゃん。
打ち付ける波しぶきがリアルな岩がそびえたつ。そこに猟銃を手にした人々が出てくる。
なんだ? この舞台美術は(あとで、天井からの投影と知ったが、ビデオの使い方がすさまじくうまい)!
が、合唱が小さい。(後ろががら空きの空間なので響かないのかなと後で気づく。他の場面ではそういうことはなかったからだ)
まともにストーリーを知らなかったのだが、台本の巧妙さと演出のうまさもあって、内容も興味深い。
場所はスコットランド(というか、これもまたウォルタースコットの作品だとは後でプログラムを読んで知った)、どうも衣装から、イングランド派と地元派の対立にまで発展したらしき2つの家の闘争の物語とわかる。
墓参り中に熊に襲われたところを助けてくれた仇敵エドガルドにルチアが恋しているようだと別の部下が報告する。激怒する兄貴。いや、命の恩人なんだろう? と突っ込みたくなるが、この件はその後いっさい出てこない。
ルチアの兄さんはイングランド派に違いない。手下にはスカート履いている連中がぞろぞろいるが、本人はイングランド風だ。ということはエドガルドはジャコバイトなんだろう。
部下だか助言役だかが妻屋で相変わらずうまい人だ。
兄さんはえらくかっこ良い。歌も良い。
場面が変わると舞台はあっというまに泉となる。あれ? 水を張っていたのではなかったのか、と驚く(くらいに、最初の岩にあたる水がリアルだった)。
ペレチャッコが乗馬服とはまた一味違うズボンで出てくるのだが、えらく美しい。というか、声が美しい。侍女の小林由佳という人も悪くない。
素晴らしいオペラじゃないか。
そこにエドガルド登場。当然のようにスカートを履いている。歌い始めるや実にレジェーロなテノールで一発で好きになる。イスマエル・ジョルディという人。
このプロダクション、最高だ。
2階真正面、前から4列目というすばらしい席で、ペレチャッコの顔の造作すら見えるのだが、イスマエルは良くわからない。
幕間に子供は、最高のイケメン兄妹なのに、エドガルドは馬だ、と酷評していたが、そうなのかな?
エドガルドは、父親を殺され、城を奪われたと怒りまくっている。
が、フランスへの密書を届ける必要があるとか言い出す。
やはり反イングランド派なんだな。しかも父親は粛清、領地は没収らしいが、反体制派の政治的な中枢からは切り離されてはいないようだ。
興奮のうちに1幕が終わる。
2幕。うってかわって重々しいルチアの兄貴の居室。
妹をアルトゥーロというやつと結婚させる陰謀をたくらんでいる。
ウィリアムが死んでメアリーが即位だ。おれは粛清される。
それにしてもイングランドは血なまぐさいなぁ。普通選挙による民主主義の一番の恩恵を受けたのは、この連中だな。
アルトゥーロというのは、派閥フリーな長者なのかな? それとも政治的立ち位置はジャコバイトに近く(地元の支持が高く)しかしイングランド派ともうまくやっていける中立の人なんだろうか。
ルチア登場。兄貴は、おれの首を切り落とした血まみれの斧の夢をみることになるぞ! と脅す。
ルチア、それとこれは話が別と取り合わない。そこで兄貴、偽手紙を見せる。フランスの女性と恋をしたというようなことが書いてある。
ルチア信じ込んで結婚を承諾する。
というようなことをやっていて、いよいよアルトゥーロも登場して結婚式になろうというところに、エドガルドが登場する。
すごい。
6重唱で、裏切り者、わたしは裏切ってしまった、妹には悪いことをした、なんということだ、おかわいそうに、が入り乱れる。
なるほど、ベルディの4重唱(リゴレット)とかは、ドニゼッティの伝統なのか。
本当に素晴らしい音楽じゃん。
しかも、ペレチャッコもジョルディもルチンスキー(兄貴のイケメン)、妻屋も抜群だ。というかアルトゥーロは良くわからんが。
またまた大興奮のうちに第2幕が終わる。
オーケストラピットを観に行くとハープを片付けて奥に置いてあったグラスハーモニカ登場。最後まで見ていた子供の話だと、床にネジで締め付けていたらしい。
そして3幕。
極端な演出だ。
荒涼とした墓地の前に椅子を置いて飯を食うエドガルド。
いや、領地を没収されたからといって、こんなスナフキンかニックアダムズみたいなことは無いだろう。
怒りに燃えていると、向こうからも怒りに燃えて兄貴登場。
お前の顔を見たら怒りがぶり返した。とか歌い始める。自然の掟だ、おまえをたたっころす。
エドガルドも負けずに歌う。お前ら一族のせいで、おれはこんなところで野宿の身だ。たたっ殺してやる。
お互いに決闘の約束をする。
そこで狂乱の場。なんと剣先にアルトゥーロの生首を突き刺してルチア登場。
1幕の美しい音楽(ハープ)がグラスハーモニカにとって変わる。
ああ、これをドニゼッティはしたかったのか。
音程が微妙に不安定になるのだ。しかも幽界からの息遣いのようでもある。
すげぇ作曲家だ。
だが、ここまでだ。観ているおれが力尽きた。幽玄の音楽にすばらしく美しい歌声が心地よ過ぎる。
気付くと、ルチアが倒れ込むところが見えた。
場面転換中、悲鳴が聞こえ、すごい音がして、何かとんでもないことが起きたらしい。が、最後は笑い声になったので、大事には至らなかったようだ。
1幕最初の岩の裏側らしきところで野宿をしているエドガルドが怒りに満ちた歌を歌う。が、ここでも力尽きる。
最後、フランケンシュタインの花嫁のように、ルチアを抱えて高いところに登っていくのが見えた。
バックステージツアーに当選したので、参加。ビデオは正面、上方、下方の3種を使っていることがわかった。
そういえば、1幕の途中でやたらとチリが飛んでいるのが目の隅に入ったが、あれは投影のための光が脇を通っていたからだな(2階の中央なのだから話が合う)。
モンテカルロ歌劇場との共同出資なので、向こうの舞台に合わせてすべて人力による装置になっている。機械と違って人間は加減しなければならない。人間なのでまあヒヤリハットもありますな。でも本来はあってはならないことなので一層気を引き締めなければ。
エドガルドの野宿シーンでは本物の火を使ったが、消防署の許可を得るのが半端ではない。劇場の容積で利用可能なガスの容積が決まる。トーキョーリングの炎は今となってはあり得ないことだ。日本では。したがってゲッツフリードリッヒ版もスェーデンでは本物の火だが、こちらではテレビをたくさん並べて火のゆらぎを(煙と合わせて)表現させたが、熱が無い。本物の炎には適わない。
というわけで、口惜し過ぎるので家に着くと同時に20日のチケットを買って今度は最後まで観ることを誓うのであった。
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