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1970年代に、世界文学に対する御一新と呼べるものがあって、まだ少年だったおれはえらく影響を受けた。
今では昭和の遺物のように思えるから、知らない人も多そうだが、かって、世界文学全集という30冊とか50冊の書籍の塊を居間に並べる文化があった。で、意外ではあるが、それは読まれるものっだったのだった。おれも読んだ。
で、そこにあるのは、セルバンテスやユゴーやドストエフスキー、ポー、メルヴィル、コレット、シェークスピア、モーパッサンといった人たちの作品で、それらは古典ともいうべきものだが、仏と英を中心に独がなぜか少なく、露がそれなりに多く、米もそれなり、伊と西が一緒になって南欧とされ、同じく北欧と一括り、中国が阿Qで、それが世界なのだった。
それは悪くないのだが、そういうのが各出版社から出ていた。
そこに1970年代に殴り込みをかけてきたのが集英社だ(当時は小学館のマンガ雑誌部門みたいな印象で、文学の香りはなかったわけだ)。青い天地の箱に入ったそれは全然違った。
南米がいきなり花ひらいたのだ。
おれは少年だったので、全集を買うわけにはいかないから、そこから選択して数冊を買ったが、驚いた。
ドノソは題からして文学だった。
世界の文学〈31〉ドノソ/夜のみだらな鳥 (1976年)(ホセ・ドノソ)
ボルヘス、マルケス、出るわ出るわ、知らないうちに世界は大きく変わっていたのだ。
イギリスだってもうシェークスピアではない。シリトーだ。長距離走者は孤独に華麗に門出だぜ。
そんな中でフランスも、すでにモーパッサンやコレットやユゴーやバルザックではない! と宣言されていた。死をクレジットで購入だ(ちょっと時代が遡った)。すごい衝撃(でもなくて、先行して夜の果ては旅していた)。とにかくカミュやサルトルですら、古い。今はロブグリエだ。
で、読みまくり(図書館もあるわけだし)世界の広さと近代というか現代の多様性に衝撃を受けまくる。
その中に「石蹴り遊び」という作品があり、えらく面白そうなのだが、なぜか敬遠してしまった。
おそらく、マラルメの賽子の仕組みで、チャプター間で石を蹴って飛び先を決めるような作品を想像してしまったらしい。何しろ読んでいないからわからない。
あるいは、コルタサルという名前から、南米とフランスというこの全集で再発見されまくっている大陸の悪いどこ取りのような想像をしてしまったのかも知れない。
いや、発売時期が折悪しく高校受験と重なっただけなのかも。
というわけで、それから40年がたち、先日本屋で見かけた秘密の武器を手にして、初コルタサルとなった。
映画だ。
すげぇ。
追い求める男には衝撃を受けた。もうなんかすぐに、シンバルが投げ捨てられて転がる。チャーリーパーカーだ。なぜ、バードしか知らないのに、わかるのだろうか? おれの名前はアロイシュ・パーカー、チャーリーだったら良かったのに。だってそれならチャーリーパーカーなんだぜ。
(キルミープリーズを並行して読んでいるのだが、そちらとの奇妙な同期もあって、よりおもしろい)
秘密の武器は最上級のリヴェットとシャブロルだ。
悪魔の涎はあまり感心しなかったが、にもかかわらず、これに影響を受けてブロウアップされたというのはわかる。
意識の流れと無限文章と人称の自在な切り替えを使って、その結果、異様な客観性が生まれることで、映像的な文章が生まれる。
翻訳も良いのだと思うが、圧倒的だ。
くそ、少年時代に読んでおきたかった。
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