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日々の破片

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2017-10-29

_ サピエンス全史読了

かかりつけの医者の本棚を見ると、医学書とか論文集とかに紛れて、なかなか社会的な問題にも興味があるのか、そのタイプの本も並んでいる。

ならば、もう読まないし、おそらく興味あるだろうからと、先日手土産にジョックの排除型社会を持って行ってプレゼントした。

排除型社会―後期近代における犯罪・雇用・差異(ジョック ヤング)

「排除」という強力なキーワードを無法図に言い放つ政治家が出現する前のことだ。もちろん、排除型社会というのはサッチャーが作り出したイギリスのことで、おかげでケンローチは創作意欲が旺盛になったのかがんがん映画を作るし、ビリーエリオットのような作品は生まれるしで、他国の鑑賞者にとってはネガティブな面ばかりではないが、それにしてもサッチャーみたいな首相が生まれる目が事前につぶれたのは悪いことではない。

すると、医者は「そういえば先日はサピエンスを読んだが、これもおもしろかったよ」とか言うので、では読んでみるかとKindleで何気なく合本というのを買って読んだ。通勤の往復で3週間か4週間かかかった。

読み始めると、ホモの中のサピエンスが、他のホモを殲滅(おそらく)しながら地上に君臨する現代までの歴史をかいつまんで(といっても数100万年単位だから分厚くなる道理だ)解説した本だった。

何度か転機があり、1つ目は想像力による超集団化能力の獲得で、それによって数人とか家族とかといった単位ではなく100、1000、数10万という単位で行動できるようになったことで、結果として農業という革命を起こし、帝国、資本主義、科学の三位一体を経て現在に至るということであった。

ダイアモンドの銃・病原菌・鉄や、ドーキンスの利己的な遺伝子まで目配せが効いている。帝国はネグリかな(これは読んでいないのでわからない)。

遺伝子の勝利という意味では、牛と鶏は人間のおかげで圧倒的な数で地上に満ちているが、果たしてそれで彼らは幸福なのか? という問いから、仏教の考え(幸福とは幸福であることではなく――幸福であれば幸福である状態に執着せざるを得ず、執着こそが不幸の根源であるからだ)を相当な量で解説したりしているが、さすがに21世紀なのでニューエイジのくそみたいな東洋かぶれからは30歩くらい離れたところで語っているのには好感が持てた。

それ以上におもしろい! と思ったのは、農業は狩猟よりも遥かに劣った食べ物を、遥かに劣悪な農作業という苦行によって営む最悪の選択だったわけだが(個人の幸福という観点からは)、種としてのホモサピエンスにとっては最高の選択だったというような観点からの説明だった。この苦行を集団でおこなうためには、想像力による意思統一が必要であり、それが神話や愛国心や道徳だというのはおもしろい。

そういった想像力の産物で最も重要なものが貨幣だという指摘は、現時点ではビットコインのような国家(権威、つまりまさにサピエンス共通の想像の産物)フリーな貨幣が登場してきたことで、さらにおもしろさを増している。

高度に発達しつつある資本主義において、なぜ工場労働者は苦行にあえいでいるのか? という疑問から解放の理論を作ったのはマルクスで、そこから下部構造が上部構造を規定するという唯物史観が誕生するわけで、この考えは相当な正当性があるとは考えられるわけだが、1960年代になって、さらに高度に発展したときに(それこそトリクルダウンがあったわけだが、まあ50年たつとピケティによってそれはたぶらかされているだけだ、と数的に示されてしまうことになるのだが)、なぜ革命を目指すのか? というのが新左翼の出発点となったとおれは考える(50年たった今の目で見れば、そもそもまず革命ありきの時点で価値観が転倒しているのだが、そこは不問とした場合)。

そこで問題となったのは、疎外の克服だった。マルクスが言う疎外というのは生産物を作り出すインフラが資本家に所有されていることによって、生産者(つまり労働者)自身が自身の生産物から疎外されているという経済現象のはずだったのだが、そこに哲学的な意味がついたのだ。

そこでいろいろな人たちが疎外について考えた時に、下部構造/上部構造という単純な図式はおかしくて、そもそも国家が成立しているのは共同幻想ではないか、と喝破したのが吉本隆明だった。

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)(吉本 隆明)

これはどちらかというと、アナーキズムの論理を支援するものだと考えられるのだが、あまりそういうふうには広まらず、もっぱら自立した個人の確立というなんか青春ドラマ的な展開を見せることになって、それはそれで後から読んだおれにはおもしろかった。

共犯幻想 上―ワイド版(斎藤 次郎)

(というわけで共同幻想論の文化的な結実として共犯幻想があるのではないかとか)

で、本書ではそういった考察の果てに仏教が出てくるところが、なんとなくだが、バロン吉本の作品遍歴のようでもあり、ちょうど半年くらい前にテレビで見ておもしろいなぁと思った唯摩教とシンクロしたりして、実におもしろい読書体験を持てた。

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福(ユヴァル・ノア・ハラリ)

さらに、先日、ちょっとFBでやり取りしたのだが、今後は生身のオリンピックよりも、パラリンピックのほうがおもしろくなるだろうという予見とかともからんでくる。

オリンピックはドーピングが禁止されているわけだがそんなストイックなものよりも、治療のためにドーピングしまくってジャックハンマーみたいになった障害者や、欠落した器官を補うためにサイボーグ化した超人の祭典のほうが遥かに人類の可能性(単に肉体と精神の力に頼るオリンピックと違って、パラリンピックは医学、生物学、機械工学、分子工学、薬学(化学)などなどのあらゆる科学が投入される分野となるわけだから)になる可能性が高いからだ。(すでに義足ですごい選手が出現したのは記憶に新しい)

行けるところまで行ったら地球がハンマーだか拳だかで粉々になっても別に構わないが、その時を見届けてはみたいものだ。

#サピエンスで、実にああそうか、と目から鱗だったのは、科学は知らないということを知るところが出発点で、それは神とは相いれない。なぜなら神は全知だから人間は神の教えに従えば良いわけですへてはバイブルにあり、そこに無いことを考えるのは不信心で火炙りという宗教と相いれるわけがない、という指摘だった。全知ではないからこそ(しかし想像力を持つゆえに)人間は実におもしろい。


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