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今年のバイロイトのマイスタージンガーを観ていて、つくづく感じるのだが、今やフォークト以外のワルターやローエングリンは考えられない。
フォークト以外のワルターが冬の間は暖炉の前でとか、さあ初めよ! とか、朝の庭は薔薇の香りに包まれてとか歌い出しても、なんだこのおっさんは? としか感じられないおれがいる。完全にテノールのルールを変えてしまったという点で、これまで聞いたことがある古くはタウバーやローレンツあたりからからまさに英雄デルモナコ、自然体こそ美しいステファーノ、雄渾たるカレーラス、そうはいってもエルサレムやキング、美声だったなプラシドドミンゴときたすごいテノールとは全然違う。かといってレジェーロではなく、どう聞いてもワーグナー歌手だ。
昨年のバイロイトのマイスタージンガーは、フォークトがパルジファルへ回ってしまったせいでえらくがっかりした(FMで聴いて)。
今年のマイスタージンガーは、ポーグナーがリストで、エーファがコジマ、ザックスがワグナー、ワルターが多分若いワグナー、ベックメッサーは有名な(でもワグナーの友人)ユダヤ人の音楽家(名前忘れた)。徹底的に第三帝国のワグナーを戯画化して、ついでにワルターとザックスが作ったマイスターの歌を陳腐でくだらない人形劇で、それに対して誤読によって新たな創世にまで達したベックメッサーとしたカテリーナの演出に比べれば、それっぽいコスプレになっているが、ニュルンベルク裁判をからめることで真意が奈辺にあるのか判然としない不思議な演出となっている。200年をそれぞれスライドさせたと考えれば良いのかなぁ。でも、ベックメッサーに典型的なユダヤ人の仮面をかぶせてニュルンベルク裁判に出席させた後に、裁判所の中で平然と盗みをはたらき、手前勝手な論理でザックスを糾弾すると、あれ? もしかしてニュルンベルク裁判どころかホロコースト陰謀論に組しているのかな? とさえ読めてしまう(カテリーナとバランスさせたわけではなかろうに)。
が、とにかくフォークトが歌い始めればそれですべてはOKだ。妙なものだな。
一方に、カウフマンがいる。最初カルメンかチューリッヒあたりでやったトスカを観て、やたらと良い男(そういえば、子供がセビリアのDVDを観て、フローレスを無駄に良い男と言っていたのを思い出した)だが、声が汚くてなんじゃこりゃ? と思ったのが、最近の作品を聞いて(特にメトのパルジファルが良かったが、先日テレビでやっていたカヴァレリアルスチカーナも素晴らしかったし、大地の歌の1人で全部とかびっくり)えらく好きになってきた。考えてみれば、カウフマンも全然テノールではない(音域はテノールだが、声はテノールではない)という点で、ルールを変えたテノールだな。
と、21世紀になってもクラシックの世界はルール破壊ががんがん行われていて素晴らしい。(でもルール通りのポレンザーニやカレーヤも好きなわけだが)
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