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Factfullnessのちょうど50%あたりが無茶苦茶おもしろい。
世界は常に変わるということについての論考となるのだが、宗教の違いや文化の違いがどれだけ大きいか、を示す。
ムスリム、クリスチャン、その他の3種に人類を分割する。
そして例によって、極貧(Level1)から裕福(Level4)までに国家を4種に分割する。日本や西側諸国はレベル4、アジアは全体としてレベル3(一部2)、アフリカは大体レベル2というところだ。レベルのわかりやすい例は20%あたりで示されていた。レベル1:歯磨きはバケツの水と指。レベル2:1本の歯ブラシを家族全員で共有。レベル3:家族1人に1歯ブラシ。レベル4:高度な歯ブラシ(マシン)。(おれの家はレベル3っぽい)
そして1人の母親からの平均出生数と、それに属する人口を示す(バブルチャートって3次元なんだな)。
レベル1は多産で10人近い子供を産む(ほとんどの国がクリスチャン国になる)。
レベル2で5人以下、レベル3とレベル4は2~3人で全然変わらない。
宗教の違いはここにはないし、地域別な相違もない。
貧乏な国では赤ん坊の5歳までの生存率が低い。それが多産の原因であり、宗教も文化もそこには関係ない(個人の事情の話ではなく、人類というマクロ視点での観察だ)。
でも、と、筆者は個別事例に入り込む。
アジアは複雑だ。香港の女性金融パーソンと会食をしたときに、プライベートな話になった。子供は欲しくないんですか? すると彼女はこういった。子供は欲しいわねぇ、いつもそれは考えているの。でも、亭主はいらない。
そのほかの事例をいろいろあげて、どうもアジアは急速に進み過ぎたのかもしれないし、そういった矛盾というのはあり得るが、そうはいっても絶対的に行動を支配するのはレベルで、結局人類は文化でも人種でも宗教でもなく、家庭の収入レベル=国家の収入レベルによって生活様式が規定されている。それが数字から示される明らかな事実だ。
スェーデン(筆者の出身国)の120年前、つまりおれの爺さんのおやじの代では男はえばって家事は一切せず、避妊なんてもってのほか、娘が避妊について話したら汚らわしいと怒り出した。7人の子持ちだった。母親1人では面倒を見られないので長女が子守をさせられて、そのせいで学校へあまり通えなかった。つまりそのころはレベル2だったわけだ。でも、今ではそんなスェーデンもレベル4で、避妊は当然、中絶もOK、夫は妻と家族計画を話し、子供の数は2人くらいだ。
これは生徒に言うと驚かれるわけだが、1960年代、スェーデンでは中絶は違法だったから、中絶したい女性にはみんながカンパして、彼女をポーランドへ送り出したものだ。学生はみな愕然とする。ポーランド? そのころ、ポーランドは中絶を認めていて、かつ医療が進んでいた。今のポーランドはカソリック教国になってしまったから中絶は禁止されているようだが。
そうやってスェーデンはゆっくりとレベル4となり、女性の出生率は下がり、赤ん坊は死ななくなった。
とにかく120年前のおれの爺さんの親父の文化レベルがアジアでは共存しているのだろう。しかしそれも時間の問題に違いない。なぜなら、すでにレベル3であり4なのだから。
経済レベルと家族レベルを考えると、大家族制というのは明らかにレベル2に属する。1人頭の生産性が低いので、生活を維持するために多数の人間がチームを組む必要がある。(レベル1はそれ未満の状態で、多数の人間の確保自体が至難な状態だが、そもそもレベル1はすでに世界の10%を割り込むまでに減少している (20180825 最初4と間違えて書いていたので1へ修正))。
日本について考える。
1960年代にレベル3に入ったのは間違いない。したがってスェーデンと似ていると言える。核家族化可能だったのは、1人の収入で家族を養えるからで、逆に地方に残った人間も年金などの資産によって生活が可能となった(収入源である子供が都会へ出て行っても問題ない)。
したがって、自民党が夢想するような大家族制に戻すのは、さらにデフレを続けて相対的にレベル2まで生活水準を落とすことが必要となる。どれだけばかでもそんなことをするわけがない。
であれば、まだ見ぬレベル5へ突き進むしかない。
レベル3の生活水準をレベル4で維持するのは余裕だが、レベル4の生活水準を維持するために、現在の日本では生涯独身率が高まり、結果的に少子化となったと考えることができる。
その場合、考えるべきは、その経済水準に見合った家族像だ。
また、高いレベルは、女性の教育(ちなみに全世界の80%の女性が7年以上の教育を受けていて、これが2100年よりはるかに前に人口爆発が止まる根拠となっている)によっても支えられているし、女性の高学歴化は経済維持の原動力でもある(したがって、経済依存する必要がないため、ますます婚姻率が下がる)。
したがって、あり得る家族像というのは、経済的結びつきを必要としない関係だ。あまり良い言葉とは考えにくいが、そのとき、現状の合法的売春や子供をかすがいとする婚姻関係ではなくなる。それはそうで、ゲイの結婚というのがそもそもそれに近い。彼らは一足先に来るべきレベル5の家族関係のモデルを作っていると考えることが可能だ。
別の考え方をすると、遺伝子の呪いから解放された家族関係というものがあり得る姿で、でもそれは逆に獣に近く、おそらくネコがモデルになるのではなかろうか。母親は一定期間、周りの雌猫の力を借りて子供を育てる。子供はある時期になると出て行く。父親はどこかにいたり、ネコによっては付かず離れずで、なんかうろうろしている。血縁関係が(父親猫を含めて)失われたわけではないが、経済的に自立できている以上、あえて一緒にいる必要もない(いたければいても良い)。
経済的に自立した関係というのはこういったものになるだろう。したがって、子育てというのは、スパルタのように国家が収容して思想教育をするという形式でもなく、大家族でお互いの面倒を見るというレベル1や2の形式でもなく、ゆるい母親の集団(経済的なつながり)での育児(というのは、結局は保育園のようなものだ)に移る。
安心して子育てができ、婚姻に縛られることがなければ、出生率は適度な範囲に収まるのではなかろうか。
ジェズイットを見習え |
> したがって、自民党が夢想するような大家族制に戻すのは、さらにデフレを続けて相対的にレベル2まで生活水準を落とすことが必要となる。どれだけばかでもそんなことをするわけがない。<br><br>あ、意外と政府・自民党のこと信用してたんですね。わたしは(どこまで意図してやってるかは人によるにせよ)実際にやろうとしていると思ってます。<br><br>> 母親は一定期間、周りの雌猫の力を借りて子供を育てる。子供はある時期になると出て行く。父親はどこかにいたり、ネコによっては付かず離れずで、なんかうろうろしている<br><br>平安時代っぽいですね。
sいや、政府はともかく自民党はまったく信用していないよ。でも重要なのは選挙民だからね。いくら愚民(小池や石原を喜んで選ぶ都民とか見てるしねぇ)とはいえ、全体としてはそこまで愚かではないと思っているんだよね。あとは、70以上の良識派に対して(保守的とはいえ、おれが一番信用している世代だ)、4~60の愚民(この世代は混合物)と20前後の欲しがりません勝つまでは教育を受けた層のどちらが最終的なヘゲモニーを取るかじゃないかな。<br>平安時代っぽいとはおれも書いていて思ったけど、そもそも原資が少なすぎるから比較にはならない(というところが、原始共産主義とマルクスの共産主義のような、似ているけど非なるものということになるというか、平安時代の貴族階層に総員が移行できるレベルというか)