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オライリーの高さんからいただいたWTF経済を読了した。結構時間がかかった。反芻の時間が結構必要だったからだし、あまりつまみ食いしながら読むのも難しいからだ。
日本は、1960年代からの高度経済成長期に農村から都市部への大きな移動があった。
総務省の「都市部への人口集中、大都市等の増加について」によれば、下図の通りだ。
明らかに1950年以降東北から関東へ、九州から近畿への移動が見られる。
ここから考えられることは、農業人口の減少による収穫高の減少と都市人口の増加による食料危機だが、もちろんそんなものはなかった。
政府統計ポータルサイトで水稲の作付面積と平年収量を表示したのが下図だ。
1958年以降、作付け面積は1970年の本格的な生産調整の開始まであまり変わらず、平年収量はむしろ微増、1970年の減反以降でも10%未満の減少に過ぎない。グラフをいじるのが面倒なので、最右の収穫高は図には入っていないが、ほぼ収量通りの結果となっている(1971年は予想以上に減反がきいたのか収量を大きく下回っている)。
どうして労働人口が減ったにもかかわらずむしろ収穫量が増えているのだろうか。
もちろん農業の生産性が上がったからだ。
結果から上記の都市流入を説明すれば、農業の生産性が高まったことで農村では余剰労働が発生して失業状態となる人が出現した。農村で失業した人を、高度経済成長政策によって不足した都市部の雇用が吸収した、ということだ。
したがって、経済成長でGDPを増やしたのは工業なのだが(その産業が創出されたからだ)、それを支えたのは農業の生産性向上だ。
個々の人間はそういうことは考えない。
なんか田舎でうだうだしているよりも都会に行ったほうが楽しそうだから恋人を残して都会へ行ってサラリーマンになって木綿のハンカチーフを贈るとか、農業ではもう食えないから都会に出稼ぎに出て記憶喪失になってそのまま居ついてしまったとか、そういったドラマとなる。
それから半世紀たって、1960年以降と同じ姿を保てるわけがない。
ある産業から別の産業への移動が始まる。
それは移行前の産業が消え去ることとは限らない。上の例の農業のように必要な産業であれば、生産性向上によって他の産業へ移行した労働力を補う。
そういうことだ。
これを確認してから、WTF経済について書くことになる。
この本は産業構造の変化についての本だからだ。
重要な点は上記の産業構造の変化は、失業者を生んでいないということだ。
トラクターを使って耕す? コンバインを使って稲をこく? 工業野郎がおれの仕事を奪うのか! とは誰も叫ぶ必要がなく、実際、誰もトラクターやコンバインや新たな品種の種を燃やしたりはしなかった。こいつは楽だ! と使いこなすことになった。
しかし、残された人は都会に出てきて別の仕事をする必要はあった。が、それは個々の人間にとっては良くもあり悪くもありで、それは人それぞれということでしかない。
生産性向上とはそういうことだ。新しい産業が人々を求めているときに、旧産業から労働力を奪うかわりに、旧産業への贈り物として生産性向上のための技術が与えられる。
今、卑近なところではRPAとか無人レジとかが出てきて、その後に続々とAIが人に取って代わろうとしているのは、新しい産業から旧産業への贈り物に過ぎない。工業がトラクターやコンバインや新らしい品種を農業へ与えたのと同じことだ。
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