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かれこれ30年ほど前に、沢島忠という作家主義ではなく、三船敏郎の映画という文脈で新選組を観たのだが、とにかくえらく違和感があった。
この映画では最後の薩摩の有馬藤太(この映画のおかげもあって、唯一おれの中で歴史上好感が持てる薩摩である)との直談判が印象的なのだが、徹頭徹尾、近藤勇の映画なのだ。また三船敏郎が通常の無頼漢風の演技を抑えているのもわかるのだが、この映画を観る限り、新選組とは一にも二にも近藤勇で、やばいのが伊東甲子太郎、良い奴が山南敬助だ。
映画としてははっきり言ってまったく良いところがない、紙芝居をフィルムに無駄に投射したようなものだが、逆に有馬との直談判は絵的に紙芝居がぴったりはまっているので良かったのだろう。鳥羽・伏見の戦いなんか最悪の映画のお手本で、右から「うおー」と攻めて行くと、今度は左から「錦の御旗が立ったぞー」と言いながら逃げて来ておしまいというようなものだった。
という映画のだめさ加減とは関係なく、一にも二にも近藤勇、三四がなくて伊東甲子太郎で五に山南敬助という点に違和感がありまくる。
つまり土方歳三の影の薄さに違和感がすごかった。
沢島忠の新選組は1969年の映画だが、観たのは多分池袋文芸坐の三船回顧展かなにかで80年代の初めの頃と思う。
その当時のおれにとって新選組についての知識は主に1970年後半以降に読んだマンガからだった。
つまり、望月三起也、和田慎二、そしてみなもと太郎によって、新選組を知ったその目には、沢島忠の新選組は実に奇怪だった。
(みなもと太郎の新選組も表紙からわかるように、みなもと組の役者で、近藤勇はダヨーン、沖田総司が頭が悪い人で、主役は土方歳三だ。最後、五稜郭から飛び出して戦死するシーンは良く覚えている)
和田慎二では沖田は美少年なのは良いとして、土方が圧倒的に主役で、近藤は気のいいおっさんに過ぎなかった記憶がある。
まあ、不思議なこともあるものだが、三船敏郎っておれさま主義者だから、おれが演じるなら局長、ならば最高なのは局長、当然局長が歴史を回すとかにしたのかなぁで終わりにしていた。
世の中にはおもしろい人がいる。
なぜ、土方が鬼の副長と呼ばれるようになったのかを調べた人がいる。
その、土方歳三がいつの間にか「鬼の副長」と呼ばれていた経緯という自由研究を読んで、ああそうだったのかと得心しまくった。
1964年に司馬遼太郎が、新選組を取り上げて、そこで土方歳三をクローズアップしたのが、変化のきっかけだったのか。
沢島忠の映画は1969年で司馬より後だが、むしろ子母澤寛にそっていたのだとすると話が合う。
一方、上であげたマンガ群は、完全に司馬遼太郎の影響下にあるのだろう。
みなもと太郎がおそらく1971年くらい、望月三起也がもう少し後ではないか(どこかのインタビューで断然土方とか喋っているのを読んだ記憶があるが、司馬遼太郎の新選組の土方、ということに違いない)、和田慎二は80年代になっていたのではなかろうか。浅黄色という言葉を和田慎二のマンガで覚えた記憶は鮮明だが、あまりおもしろいマンガではなかったような。
(プレミアムつけて売っているやつがいた)
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