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日々の破片

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2020-01-13

_ フランケンシュタイン

子供と日生劇場(初めて足を踏み入れたような気がする)でフランケンシュタイン。韓国製のミュージカルとしてはアンクルトムに続いて2つ目だ。

物語はわりと良く知っているシェリー夫人のフランケンシュタインだが、幾つかミュージカルとして物語を際立たせるための改変がある。

主人公のヴィクトルフランケンシュタインは母親の死のショックから永遠不滅の生命というものを、母親の死に対してなんの手も差し伸べなかった神に変わって作り出そうという目的へ邁進する男として作られている。最初の子供っぽい復活のための実験を村人に勘違いされて、家を焼かれてそのときに父親も喪失している。

おそらく悲劇を際立たせるために、ヴィクトルの回りに重要な4人の人物を配する。

1人は忠実な執事で、孤児(後述する姉はいる)となったヴィクトルを父親の代わりに溺愛している。ヴィクトルに対して完全に無償な貢献を行う。

1人は姉で、ヴィクトルの気持ちもわかるが、頭の悪い村を生活の場として定めた以上は折り合いをつけさせるべきだという思いもある。唯一ヴィクトルの実験に対して反対の意見を(まともに)表明している(まともではない反対は頭の悪い村すべてなので問題とはならない)。

1人は親代わりに引き取った伯父の娘で、ヴィクトルの天才っぷりに心底いかれている。

そして、ナポレオン戦争中に不服従の罪で銃殺直前のところをヴィクトルに救い出された元医学生(人体の再利用という研究をしていたが廃棄して、やけになっている)のアンリで、ヴィクトルの生命創造への論理的な支持者である(執事と伯父の娘はおそらく同情と頭の良さに対する闇雲な支持者なので、相当異なる)。

ヴィクトルはナポレオン戦争で死体から兵士を作るというアイディアが採用されて実験をしまくっているが、ワーテルローでナポレオンが敗けたために実験途中で解散を命じられる。しかし、そのときに、停戦合意書に署名をするために子爵の失われた右腕を作るという依頼をクリア(実際の執刀はアンリが行ったらしい。またその手術の腕前が評価されてヴィクトルの右腕になれたのだろう)したために、戦争の英雄として村へ帰還する。そのため、風当たりは少し弱まることになる。

伯父さんは市長をやっているのだが、いきなりえ? と驚くほど下手な歌を歌い出すので、これはミュージカルではないのではないかと疑ってしまった。が、その後に出てきた伯父の娘が素晴らしい歌を歌ってみせて、ほっとした。やっぱりミュージカルのようだ。

ヴィクトルの研究はほぼ完成していて、焼け残った居城の地下に実験施設があるのだが、新鮮な脳みそを持つ頭が手に入らないために、失敗しまくる。

執事が、葬儀屋から入手することを思いつき、段取りをつける。しかし葬儀屋は金をすぐ欲しいもので、無から死体を生み出す。その死体が自分に対する敬意を示した医学生だったので、ヴィクトルは怒りのあまり葬儀屋を突き飛ばす。打ち所が悪くて死体が2つになった。仰天してヴィクトルも気を失う。

そこへ警察がやってきたため、アンリが身代わりとなって逮捕される。

ヴィクトルがアンリの脳髄を手に入れることもありだな、と考えていると姉がやってきて、お前はさすがにまともではないとたしなめる。(微妙に、姉とアンリはお互いに惚れあっているような描写はいくつかある)

さすがに、ヴィクトルもアイディアの外道っぷりに反省して自首する。

まるでカラマーゾフの兄弟のイワンの証言のような扱いになる。ヴィクトルは戦争の英雄なのに対して、アンリは突然あの頭のおかしなフランケンシュタインが連れてきたよそ者だから、犯人はアンリに決まっているという理屈で、徹頭徹尾、この村は2000人の狂人の村として描写される。

かくしてアンリの新鮮な首を盗み出したヴィクトルは生命を吹き込む。

だが、生まれた人間は元のアンリではなく、執事を噛み殺してしまう。怪物を作ってしまったと認識したヴィクトルは銃で撃つがもう遅い。怪物は窓から逃亡してしまう。

2幕。数年後。伯父の姿が見えない。連れて行った犬が無残に噛み殺されている。

かくして、ヴィクトルが村人を率いて山狩りが始まる(とりあえず、ヴィクトルは村人と和解できている)。

山小屋で伯父の死体とナイフを持ったまま気絶している姉が見つかる。村人たちは、やはりフランケンシュタインだと、裁判もせずに姉を吊るす。

ヴィクトルは例によって死体を盗み出して、地下の実験室で姉を生き返らせようとする。しかし、すべての機械が破壊されている。一体何が起きた? と見ると、怪物が、姿を現す。懲りない男だな。

言葉が話せるのか? とヴィクトル。

アンリの記憶はないが、知識は使えるようだ、と、怪物は自分が味わった辛酸について語り始める。

熊に襲われた女性を助けるために熊を殺して(その前から熊を殺して食べていたらしく、「熊おいしい」というのはこの作品のミームになっている。お土産売り場では熊カレーが売っているので子供は買っていた)、人々のところに連れて行くと、怪物が出たと、いきなりタコ殴り(多勢に無勢なのだ)で縛り上げられ、地下格闘技場の闘士とされてしまう。

しかし、心優しく勝っても止めをささないために人気がなく、ひどい扱いを受けている。

地下牢の前で美しい誰もいない北極で暮らしたいの歌を助けた女性は歌ってくれるのだが、結局、彼女は自由になりたいいために、賭け試合に必勝を期すための計画に加わって怪物に毒を飲ませる役回りとなる。

この賭け試合と結末のつけかたのテンポはすごく好きだ。

裏切られた怒りと、それとは別にフランケンシュタインの実験ノート(生命を得たときに、裸では寒そうだとヴィクトルが自分のコートを着せたが、そのポケットに入っていたのを闘技場の支配人が渡す)を手に入れたことで、怪物はレゾンテートルに悩むことになる。

悩んでもしょうがないので、創造主に対して復讐を誓う。こんなにおれが苦しむのは、この世の中におれを生み出したやつが悪い。当然、その前に闘技場は燃えることになる。

というわけで、お前の姉を殺させたわけだ、と怪物は言う。おれの受けた辛酸すべてをお前にも味あわせてやるから、まだまだ続くぜ。そう言い残してまたまた窓から去る(と気づいたが、地下室じゃないんじゃないか?)

伯父の娘とヴィクトルは結婚する。

当然、怪物は娘を殺す。

自分を愛したすべての人間を失ったヴィクトルは怪物の語った物語から北極を目指す。

ついに極北の地で怪物を撃ち殺すことに成功するが、その前に脚を折られて(ことにする)アナキン状態のヴィクトルも直に死ぬだろう。

おしまい。

まあ、盛沢山ではある。

テクノロジーの進歩に戦争は不可欠とか、無知な村人には科学は邪悪な魔術で焼き払うべき対象で、誰かが死ねば適当な誰かをリンチで吊るすのがそのての村人に対する治世の要諦(有罪率99.4%だな)とかいうようなどうでも良い教訓もあるが、そういう話ではない。

ささやかな幸福もあれば(実際のところ、北極の歌のところでは、体は苦痛を感じていてさえ、怪物ですら少しは幸福感を持ったはずだ)、苦痛や悲嘆もあるという当たり前のこともどうでも良さそうだ。

音楽の印象がほとんどないのは、物語が(余分なエピソードをてんこ盛りにしたとはいえ)シェリー夫人の手の中にあるからだろう。

要はどれだけ理想に燃えていてもやり過ぎるとすべてを失うということなのだった。その失うというここそ恐怖の根源で、だからこそ恐怖物語としてフランケンシュタインの怪物は生まれなければならなかったわけだ。

ヴィクトルはいきなり母を失い、父を失い、姉との生活を失い(寄宿学校へ送られる)、せっかく得た親友/理解者/協力者を失い、実験の成果物に逃げられ、どう考えても執事という職業からは有償なはずなのに無償の愛を注ぎ込む執事を失い、姉を失い、実験室を失い、研究ノートも考えてみたら失い、奥さんを失い、最後は自分の手で成果物を失い、自分の生命も失う(他のあれこれに比べれば一番どうでも良い喪失に見えてくる)。恐怖の連続だ。恐ろしい。

ところが、まったく恐ろしくなく、終わるとむしろ良い感覚を得るのがおもしろい。実のところ、この作品は魂の救済の物語っぽい。喪失は恐怖だが、一方では自由の獲得でもあるからかなぁ。

それにしても音楽の印象がまったく残っていない。そういう意味ではアンクル・トムもそうだったが、物語を語ることに主軸が有り過ぎるのではないかなぁ。ある意味ステレオタイプだから、物語は時間をもたせるためのスキャフォールドに留めておくことも可能だと思うのだが、それ以上に物語を語ってしまって、ほぼ演劇(時々歌が入る)となっている。だが、おもしろかったから、それは難点ではなく、そういうミュージカルということなのだろう。

せっかくいるのに、ヴィクトルとアンリの二人が同時に歌うのは1幕の戦場の実験室の中だけかな?(というか、あったかどうかも怪しい)モーツァルトのサリエリとアマデウスのように二人が歌いまくって終わりになるわけでもなかった。

※ 子供が物語を間違って覚えていると指摘したので訂正。

・葬儀屋を突き飛ばすのではなくフランケンシュタインが石で殴る。やばいと思ったアンリがフランケンシュタインを気絶させて、その間に自首する。

・姉はナイフではなく遺産目録を手にして横に倒れていたらしい。

※ 鑑賞後にすがすがしいのは、上では書いてないもう1つの喪失の物語があるからではないか。ヴィクトルは母の喪失の前に、呼びかけに答えない神を喪失している(近代人では当たり前のことなので意識していなかった)。一方、怪物にとっての神はヴィクトルだという点が重要で(ヴィクトルのことを造物主と呼ぶ)怪物はヴィクトルの代わりに神に対して復讐を成し遂げる。宗教からの自由こそ近代なのだから、これこそゴドウィンの娘であるシェリー夫人の作品のテーマそのものだった。


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