著作一覧 |
チャイナ・ミエヴィルのクラーケン読了。
言語都市が抜群におもしろかったので(そのわりにはそのときは同じ作者の別作品を読もうとは考えなかった)、存在を認識すると同時に購入。
が、読み始めたら、博物館のクラーケンの標本の話で、なんだこりゃ? と思ってしばらく放置していたのだった。
が、アルセウスが少し行き詰ったのでちょっと続きを読み始めたらぐいぐい引っ張られてポケモンとかしている状況ではなくなった。
舞台は現代のロンドン。主人公は博物館の学芸員。生物の標本を作り、観光客へのガイドをしている。眼鏡のあんちゃんだ。
この状況が一転して魔術と魔物、怪人、神、宗教者、得体の知れない抽象的存在(概念的存在)が跳梁跋扈するロンドンを巡る死と消滅と復活を賭けた闘争の物語となってびっくり仰天だ。目前に迫ったロンドン(世界)を再創造するための業火の到来を阻止するために、数百年続くロンドンマンサーや、宿命を打破した古代エジプトの労働人形、博物館の天使(ここらあたりは作者はげらげら笑いながら伏線を仕込み、満を満たして登場させたのだろうなぁとか考えると楽しい)などとともに絶望的なバトルを繰り広げる。
(ロンドンが業火に包まれて終末を巡る戦争が始まるという点ではヘルシングを想起するし、現実がどんどんずれていく感覚はニールゲイマンを想起するし、優れた映画のように記憶が刺激されまくる)
しかし魔術や魔物が出てくるがファンタジーではない。やはりこれはSF(ただしスペキュラティブのほう)だな。ファンタジーであれば、主人公も登場人物も、環境をそういうものとして自然に受け入れて、環境が求めるように振る舞う。が、主人公は常に第三者的視点を持ち、その異様な状況を異様な状況として味わい尽くしている(したがって、世界を解釈する)。しかしサイエンスのほうのSFではないから、なぜそうなのか? という疑問は持たない。
そういえば、洪水教の信者群が出てくるときに聖典の一つとしてバラード(当然、沈んだ世界のあたりだろうか、それとも溺れたのあたりかな)の名前が出てきたりする。
抜群におもしろかった。
ジェズイットを見習え |