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妻と車の中で椎名林檎の木綿のハカチーフを聞きながら「いかにも松本隆が田舎ものを都会人のステロタイプで表現したくそみたいな詩だな」とか「この時代だと、男は都会で就職、女は田舎で家事手伝い(大学進学など女にはあり得ないし、そもそも都会一人暮らしもさせられません! と家族猛反対)とかあるあるっぽい、だからステロタイプも当然」とか「この歌、歌謡曲としてそれなりに支持されたってことは当時の心情に合うところもあったんだよなぁ?」とか言い合っていた。
ら、ふと妻が、「でも、現実問題として男都会就職、女田舎残存パターンでのハッピーエンドってどうあるんだろう?」と言い出した。
で、考えた。
1. これはこれでハッピーエンド: 男は都会人に脱皮して生きるし、女は田舎者として生涯を貫く
2. 現実的には、男は就職3年目で多摩ニュータウンの抽選に当たって女を呼び寄せて結婚
の2択かなぁ。「まあ、2かな」と妻も言う。
「少なくとも、男が都会に疲れて田舎に戻って一緒に農協で働くとかないよな(その場合、女はハッピーでも男はあまりハッピーではなさそうだ)」「というか、高卒男女の就業って田舎だと実家の農家じゃないか(これまた男はハッピーではなさそう)」「でも男が都会へ出るってことは跡取りは別にいて追い出されパターンでは?(とすれば、2を実現するしかないから、男は田舎の女に都会の風物を教えて来るべき東京(といっても多摩)生活に順応させようとしているのに、女は執拗にそれを拒否しているのだから、2だと女はアンハッピー)」とかさらにディテールが続く。
とすると、まさに曲調の通り、これはハッピーな歌なのだろう。
男は都会に出て浮かれまくって染まりまくってハッピー、女は帰らぬ人の帰りを待って木綿のハンカチーフで涙を拭う健気な女を演じてハッピー。
ハッピーな歌だから、それなりにヒットしたのだろう。
・もしかすると、田舎男女の恋愛ステロタイプではなく、脱亜入欧男対大東亜共栄圏反動女の思想的闘争の比喩かも知れない(あり得ない)。
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