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昨日は暑かった。
ノ ノ ノ 。こんな感じ。一昨日。
直接ネットワーク上を流れるパケットのMACアドレスの読み取りとは異なるが、MSがMACアドレスをGUIDの生成に使用していた時期がある。
Windows2000から変わったが、それ以前は、CoCreateGuidやその下のUuidCreateで生成するGUIDの下6バイトはMACアドレスそのものだった。マシンのMACアドレスを取得する簡単な方法としてGUIDを生成するという方法がTIPSだった。
それを利用した登録ウィザードActiveXコントロールの問題というのがあった。
11月になってリアルネットワークスも利用していたことが発覚。
このあたりは1999年(PIIIやモバイルPIIのIDも)頃。
で、学校の図書室で借りたやつで、今でもなんだか、猛烈な印象があるのが、ぴかぴかのぎろちょん。作者の佐野という苗字だけ覚えてる。
挿絵は覚えている。アーケードの上を伝って、ぎろちょんを見に行くところも覚えている。あとは全然、覚えてない。でも、すごーく印象的なんだ。
と唱えてから、essaさんのとこ経由で見たサイトへ行くと、いやぁ、やっぱり印象的なんだなこれが。おいらの読書兄弟みたいなのがわらわらいるではないか。
後知恵で考えれば、おそらく高度経済成長期の弱者切り捨て路線や危うい安保体制とか、を、理屈ではなくぎろちょんという子供には見せることができない謎物体として描いていたんではないかとか思うんだけど、全然、違うかも。もし、予想どおりなら、それはそれで確かな手腕で子供心に知らしむべしと刷り込まれたりしたわけだし、もし全然違うとしたらそれはそれで、作者、画家、編集者、出版社、学校図書室、そして読者が、こんな強烈な児童書を受け入れたというその事実によって長く記憶されるべきだろう。
ちなみに、猫の本屋(というのは子供呼び方で、名前を度忘れした、落合恵子の店)に行く都度、復刊されてないか書棚を探しているおいらだが、ようするに絶版ってことなのね、しくしく。
なんで、探してるかと言えば、別に今、読みたいわけじゃないな。子供にも読ませたいわけなんだ、と今、明確に意識した。
なぜ印象的か考察を続ける。
挿絵。目が無いんじゃなかったっけ? 鬼太郎かワタリか、横に凪ぎつけた髪の少女が主人公。
ぴろぴろっていうのを覚えてる人がいる−−おいらは忘れてたよ−−本質は謎なままおいておかれてるわけだな。
ぎろちょんってのは主人公の命名。もちろん、ぎろちんなんだが、主人公の女の子が首がちょんと落ちるというのを知ってるから、そっからぎろちょんと呼ばれることになった。これは思い出した。
ぎろちょんは広場に設置されているのだ。思い出した。
バリケードっていうキーワードを覚えてる人がいる。そーだ、あの頃はバリケードがあった。おいらんちの近くには社会事業大学があってそこにだってバリケードとかあったさ。明治公園で闘争が行われれば、催涙ガスがもくもく家のほうまで沸きあがってきて(えらく離れてるんだけどね)目が痛くなったもんだ。でも子供だから、僕らはバリケードの内側が何かは知らない。
と考えると、政治的な意図はあり、それを寓話として描いたのかなという気がしてくる。仮にそうだとしたら、最初に出会った政治的な本だということだ。そりゃ印象的だろう。そんなもん知らないんだから。
光る風とかを読んだときの印象と似てるかな? −−そりゃ後知恵が過ぎるだろう。でも、あれもそうだったんだ。なぜそうなるかまったくわからないんだから。
つい投票してしまったが、コメントは出てくるんだよね、まあ、そんなもんか。ちなみに「山村」は私が生まれたところではなく、もちろん育ったところではなく、かって1度も過ごしたことがない、すなわち、ありえない私を意味するキーワードです。
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