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引用という範囲を越えて、夏目漱石の文章をそのまま(あるいは改変して)自分の作品の一部として取り込むというのは、ある種の前衛的な文学作品を除けば考えにくい事態だ。また、「我が輩は猫である」の第二章がいかに優れているからといって、自分の本の第三章にそれを差し込むということもほとんどないだろう。すなわち、いわゆる著作物は「思想又は感情を創作的に表現したもの」(日本著作権法第二条)であるがゆえに、原作者との結合がソフトウェアよりも強く、また部分が全体とより密接な関係を持っている(言い換えれば、「機能」としてうまく一部を分離できないことが多い)ため、他の著作物で再利用することが難しいのではないかと考えられるのである。
「ある種の前衛的な文学作品」というのは良くわからないが、素材としてはありえるのではないかと思った。
そのとき思い浮かんだのは、豊田有恒の昔の短編(ショートショートかな?)集で、読んだのは中学生くらいだったはずだから、全然作品の内容などは記憶にないのだが、とにかく、印象的だったのが、3つくらいの(もちろん全然別物の)作品の中に半ページ分くらい、完全に共通な文章があったことだ。内容はベッドシーン(と当時の用語だが、今はそんな言い方しない気がする。ではなんと呼ぶんだろう? カジュアルな時代になって結構なことだ)なんだが、推測すると
1.豊田氏はうまく書けないので、うまく書けたシーンを再利用
2.物語の本質部分ではないサービスシーンなので、編集に対する抗議の意をこめて、あえて手抜き
3.いつも同じ方法でコトをするため、なぜか、いつも同じ書き方になる
で、もちろん3は数を出すための埋め草だが、いずれにしろ、意識的な再利用なのは間違いないだろう。
というように、素材としての文章というのもありえるのではないだろうか。で、人称とか家具とか雰囲気とか季節、時刻、嗜好、位置、大きさ、持続時間などはパラメータで与えることで、自分の小説の中にシームレスに組み込むことができるというような仕組み(はソフトウェアなのだが)の、素材としての元の文章というのは十分、コモンズ足りうるのではないかと。
多分、ハーレクィンなどのジャンル小説では、既にそのようなシステムが(最低でも作者の脳内には)構築されていると考えられる。
で、もちろん、そういった再利用可能な文章というものは、内容的にはどうでも良い存在、しかし、読者にとっては気分的に非常に重要な位置を占めるという、矛盾した存在だな。
北の土竜が、どんどん話がおもしろくなっていくと、それにしたがって、どんどん雑誌の後ろのほうに移動していって、あー、これで終わりかぁ、と思うと、いきなりきれいなモデルが出てきてデッサンしたりして、また雑誌の先頭に返り咲くという、不思議な運動を繰り返していたが、やっぱり、重要なんだろうな。(と、最初に書こうとしたことを置き去りにして、部分最適化された話題になってしまってるし)
吉牛。きわめて生産性が高く、大量に再利用された。
Webサービス。雰囲気、テーマ、主張、裏付けとなる資料、参照資料リスト、といったパラメータを与えると、PDF化して送り返す。
学生が論文を生成するのに良く利用する。なお、生成された論文は自動的に元のテンプレートのライセンスが適用される。
また、有料の企業向けサービスもあり、バインダー4冊分のコンサルティングレポートを3分で生成する(もちろん、10人のコンサルタント×6ヶ月の作業量相当)。この場合、クリエィティブコモンズライセンスの適用は免除される(Buy now from MyReport AB online shop !)。
ジェズイットを見習え |
水村美苗『続・明暗』とか。>「ある種の前衛的な文学作品」