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子供はおっかないからイヤとかぬかすししょうがないから一人で見に行った。オリジナルはもしかしたら子供の頃にテレビで見たかも知れないけどわからない。その後のリメイクは見たこと無いしたがって、キングコングの記憶というものは無い。
で、予想もしない始まり方。酒を捨てたりしているしボードビリアンが出て来るし、ブロードウェイだし、どうも禁酒法時代っぽい。デコな字体。
カールっていう名前のプロデューサ(映画の出資者を募る人)と字幕には出ていたが自分でカメラも回すしロケ地も決めるし指図もするからディレクタでもあるというかが主人公。
この男、見てくれはオーソン・ウェルズで大言壮語、演説口調で見てきたような夢を話すし(出資者に謎の島でのロケの話を語るところ)、平然と嘘をつく、結果的に人をだます、だから中身も間違いなくオーソン・ウェルズだが、カールという名前からはこの時期にドイツあたりからハリウッドへ来た人たちのことも彷彿とさせる。というか、シュトロハイム以外のナニモノでもないお金の使い方、気に入ればえんえんとカメラを回してしまう。映画グリードだ。
でもやっぱりオーソン・ウェルズかもというのは、闇の奥をウェルズは撮ろうとしていたからだ(で、予算の関係で失敗)。しかもFPM(FPはゲームのFPSと同じ)だけどそれは関係ないか。
動物をえんえんと撮ったフィルムを見せられた出資者たち3人の協議の結果、2:1で没が決まる。だが、マラッカだかボルネオだかの近くにある謎の島にどうしても行きたい、そこには人々を驚かせる映画のネタがある、どうしてそこまでロケにこだわるのかは良くわからないけど、リアリズムが好きなのだろう(リアリズムが好きだとリアルタイムな撮影を行うせいでフィルムをとんでもなく消費するから筋は通る)。
かくしてフィルムを持ち逃げして逮捕寸前にアドヴェンチャ号はまだ見ぬ髑髏島へ向かって出発するのであった。船は動物密輸船、仲間は撮影技師と脚本家(別の主役。映画より劇が好き、なんか記憶に引っかかるな)、活劇男優(谷に助けに来るシーンは素敵だ。自分のポスターを船室にはる。いたずら書きされた口髭にちょっと惹かれてみせる、これもポスターからちょっと記憶に引っかかる)、女優(別の主役。ボードビリアンの芸が身を助け)、助手、他にも。船長のナマリになんかあるのだが不明。フィルム持ち逃げか。最近だとゴダールのリア王がそうだったと思うけど(劇中のフィルム持ち逃げだとフォーエバーモーツァルトがそうだ)、それは多分関係なく、この時期にもなんか引っかかるが思い出せない。
すさまじい廃墟(実は原住民がいるから生活の場なんだけど)。カメラを回す。
恐竜がうようよいる場所を見つける。カメラを回す。
で、仲間がどんどこ死ぬ。そのたびにカールは「絶対にすごい映画になる。儲かる。やつの妻子に分けてやろう、映画の完成、それが一番の供養だ」というようなセリフを助手に言う。最初は助手は感動する。2回目にはちょっと戸惑う。
だが、せっかくのフィルムはキングコングに橋がわりの木ごと谷底に落とされたおかげでおしゃかになってしまう。カメラが壊れてフィルムが光を浴びてしまったのだ。
もう映画は無い。
しかし起死回生の手段を考えつく。船長にコングを生け捕りにして見せ物にすることを提案するのだ。
が、作戦は失敗。網を破ってコングが追いかけてくる。しかしカールはコングを銛で串刺しにしようとする船長を止めて、捨て身でクロロホルムの瓶をコングの鼻に叩きつける。捕獲成功。
で、ニューヨーク、第8の不思議として興行が始まる。出資者(元)と握手を交わし、名士たちにほほえみかけるカール。得意だ。しかし助手の顔は浮かない。理由は、脚本家がやって来たときに明かされる。「みんなに見てもらおうと言って、映画の値段で公開してるんです。作ったものを自分で壊してしまう」コピーが全米で公開される映画の値段で単館興行をやったら、それは儲かるはずはない。すごいやつだ。金の重要さは身にしみているし、常に儲けを考えて映画を撮っているにもかかわらず、本当にしたいことは、みんなにあっと驚くものを見せてやることなのだ。ソースを見せる精神の持ち主である。
最後、死んだコングの前でカールはつぶやく。「美女が野獣を殺した」最後まで映画のストーリーを守るのであった。
きっと映画を撮るチャンスは回って来ないかも知れないが、英語教材の声として、あるいはどうでも良い映画を顔つきだけで名作に変えたりして、名前を残すことだろう。
クレジットの最後にオリジナルへのリスペクトが出る。
その他のエピソード。クルー。両腕を折られ檻の中に隠れて密航していた手癖が悪い(いきなり脚本家のペンを盗んでみせる)青年(マストの上の見張り役)と彼を守る黒人の親父(軍隊では鬼軍曹にしごかれた)の仮想親子関係(勉強しろに対して、図書館から盗んだ闇の奥を見せるとか)。
#儲けを度外視してとんでもない映画を撮るといえばコッポラ(いくらなんでもナスターシャキンスキーが綱渡りの映画で集客できるはずもないのに湯水のようにお金を使ってセットを作ったりとか)で、これも闇の奥つながり。それにつけても闇の奥は底が知れない。
#とんでもないものを採算度外視でみんなに見せたいという狂気を秘めた監督が主役の映画がとんでもないものをみんなに見せる映画なのだからすごい話だ。実にとんでもないものを見てしまったという気持ちになる、気持ちが良い、映画は見せ物だという原点に立ち返ったかのような(でありながら最上級のメタ映画でもある)素晴らしい映画であった。
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