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溜まっていた分を処理。
それにしても、どの程度のマーケティング効果が上げられるものなんだろうか。あまり役に立ちそうにもないのだが(木馬のダウンロード基地とかだったらわからないでもないけど、そこまで悪質そうなのは今のところ見てないんだが)。
寸暇は惜しむものだが、寸志は与えるものだ。
とは言うものの、一体、その職業は何かというのが気にかかる。
芸術家はすべてを芸術のために捨てる必要はない。が、画家は絵を描いているときだけが彼の仕事時間ではないだろう。いや、画商と交渉している時だけが彼のビジネスタイムなのだろうか? だとしたらいつ絵を描けば良いのだろうか。
あるいは企業に属するという言葉が本質的には2つの意味を持つということも考えるべきではないだろうか。1つはたまたまその企業に草鞋を脱いだという状態。股旅者はもしかしたらある日突然去るかも知れず、居心地良ければ居つくかも知れず。その一方で、心身ともに属するという状態もある。その企業が廃業すれば明日からの身の振り方に頭を抱えることになる。
股旅者が長ドスの手入れを怠らないのは、去るべき日が来る可能性があることを知っているからだ(仮に今の日がどれほど心地よかろうと)。
去る気のない子分衆に、家へけえってからドスを研げと言うのはせん無きことだ。またそれを勧めるのは確かに偽善であるかも知れない。
しかし、股旅者ならばまた異なる振舞いもあろうというものだ。
とか、思った。そこでやくざものの話になるのは、たまたま目の前にこんなのがあるからだが。
蛇足を追記:
しかし仮にも一宿一飯以上の義理もあれば一緒に釜の飯を食った仲でもある。そこで一家と共に心中覚悟の子分衆にやはり一言声もかけたくなるのもまた人情。差し出がましいとは思いもするが、おいおめぇら、何の因果か渡世の世界に身をおいちまったのを恨むなら恨め、お天道様の下は何もここばかりじゃない。でいりに負けて夜逃げの算段することもありゃ親分の勘気に触れて出入り禁止になることもあらぁな、だからと言ってそのまんま食いっぱぐれになることぁなかろう。そんときものを言うのはてめぇの脇のその長ドスひとつ、ちったぁ磨いてやってもバチがあたることぁあるめぇ。
#しかし、自動小銃を発明するという方法論もある。
どちらも出来なければ、それまでだ。
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