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新高恵子か山口小夜子か、というくらいに、僕にとってのカルトスターでもあったので、またひとつの時代が消えたなぁとかいろいろ感慨。
最後に観たのは、
ピストルオペラ スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD](江角マキコ)
で、最初は単なるギルドの連絡係かと思ったらところがどっこい眼が百個(というか、この映画は最初が最近の渡哲也もかくやというくらいに膨らみに膨らんで土佐衛門のようになった沢田研二が吊るされて殺されるところから始まるわけで、監督本人にとっては60年代のおとしまえかもしれないが、見てるこっちにとっては80年代の夢は枯野に枯れすすきのような物悲しさが漂いまくるセンスパワーな映画なので、山口小夜子はまさにうってつけ)。
歌と理論は良かったけれど、映画は批評も(増殖する男を誉めたりとか)撮るのもいまひとつだった(消しゴムと扉のやつは例外的に好きだが)寺山修司の映画でも山口小夜子だけは良かったな。
上海異人娼館 チャイナ・ドール デジタルリマスター版 [DVD](イザベル・イリエ)
なんというか、人形のような(生身な性を感じさせない)妖艶さみたいなものがあったというか。
#突然、思い出したが、チャイナドールでかげろうゆらめく地平線いっぱいに馬軍(馬賊なのか紅軍なのか同じ音の皇軍なのかは誰にとってもどうでも良いわけだが)が広がるシーンは広がりがあってよかった。ついでに、寺山修司の映画の問題点は(批評もそうだが)、そこに映されていないものを重視し過ぎて、幻想の中で映画を撮ったり語ることで、そのため実際のフィルムが(相対的に)あまりに矮小化される点にある、とおれには思えたから否定的なのだということも思い出した。
トイレの水の流し方は簡単というのが最初にあって、
それは確かに、レバーを下げたり上げたりすれば済むから簡単に見える。
でも、断水時には、当然、バケツの水を使うことになる。
勢い良く流すために、2メートル上から流したら、すごく悲惨なことになる。
それをおそれてちょろちょとと1cm上から流したら、ブツは流れない。
加減が必要だ。
さらに、10リットルあれば誰でも流せるだろうけど、50ccでは誰も流せない。
そこで、営業から3リットルで流せるかなぁ、と打診されたときに、安請け合いするか、現場検証して可否を決めるか、はなから無理と答えるか、あるいは2.98リットルならどうか、とか。実は特盛り野郎が住んでいたとか。
そもそも汲み置きが無いとして、断水時間を予測して流さないで済ませるという判断をしたりとか。
かように、実は「水を流すのは簡単」というのはコンテキストに依存した特殊状況であり、毎日の運用を考えると、実は全然簡単ではない。(3年間ノーダウンで動かせるか、というと当然、断水が起きることとか水漏れすることとか、詰まることも想定しなければならない)
そこで、「水を流すのは簡単」とか安請け合いしているけど、真価が問われるのは断水時だよ、とコンテキストを付け加えたということです。
で、何をもって断水時と考えるかは、初心者が起こしえる過ちについてどのような状況を想定するか、なので、それを考えることそれ自体も含まれることになります。というか、障害を予見できなきゃ意味がない。いや、断水なんて起きるはずないじゃん、という答えもひとつの見識だからそれならそれで良いわけです。
(僕は、そんな面倒なことを考えるのはいやだからはなから断水がありえないJavaとかC#(unsafe抜き)とかを教えるのが良いじゃん派。実際、断水してないし。でもマルチスレッドという名の糞詰まりはあったけど)
なんでかというと振舞いはmoduleとして取り出すことができるからです。
「コード」と「最終的に動いている状態の何か」の分離をより昇華した物になるんじゃないか、と思い始めています。
ここまでのまとめ。
・関数に操作対象を与える。
f = fopen(...);
fprintf(f, ...);
・操作対象が関数を持つ。
f.open(...);
f.printf(...);
・操作対象に関数のまとまりを与える ← 今ここ(「今」についてツッコミたい場合は自分のところに書いてください)
f.includes File-Functions
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