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やっと予約してたパンタのクリスタルナハトが届いた。聴きまくりまくりにまくる。頭は鉄板。
おれは、プラハからの手紙が好きで、良くワルシャワからクルクフへ向かう車の中で聴いているのだが、ある日、妻がぽつりと言った。
ようするに、団塊の世代の唄よね。くず。
ぐわーん、そういうなよ。
確かに、全共闘のアイドルだったわけだし、銃を取れだし、ほんのわずかな支配者のために消されていくのはやり切れないけど、しかもこないだイラクへ人間の盾になりに出かけてたりしたみたいだし。
でも、おれは、こいつの歌には、そういういんちきくさい団体行動主義というか共同体無責任体制的な思想性はかけらも感じないのだ。そういう意味じゃ、四畳半フォークなんかのほうが、よほどその腐れた共同体意識のせいかも知れないけど、おれには政治的に聴こえるし、不愉快だ。神田川とか神田川とか結婚しようよとか岬めぐりとか。
確かにパンタの節回しは、ちょっとくさいところがあるし、言葉が時々直截的に過ぎるときもある(R・E・Dとかスラムの小鳩がSOSだぜ)。
でも、詩に描かれているのは、いつでも心象風景だし、それはもうひとつ別の70年代、内的宇宙への旅(インドじゃないぜ。もちろんメディテーションじゃない。テクノロジーと人間の間に生まれる微妙な隙間から覗ける、あの世界だ)だ。オートバイ、オートバイ。おれの鋼鉄の夢。このくらい、個的な世界に閉じこもった詩を歌っていた音楽家はあまりいないんじゃなかろうか。言葉が、言葉としてきちんと自律して音の間をゆたっているのが感動的だ。
(でも、こぶし回しの人間っぽさのせいで、20代のころは、敬遠してたので、クリスタルナハトは聴けなかったのだ)
ふと、自意識の殻が蛇のようにするっと落ちて、気にせずに聴けるようになった時はもう遅くて、ほとんど廃盤になっていた。
それにしても、プラハからの手紙が、あの大巨編のテクノ調に比べてクリスタルナハト版は妙にボーカルを強調してるし、リズムの縦刻みがきれいだ。おれはクリスタルナハト版のほうが好きだな。
#夜と霧の中では、日清パワーステーションライブ版のほうが好きかな。ドラムの金属音がいまひとつかも。歌い方が伸びやか過ぎるのかも。あるいは、日清パワーステーション版を聴きすぎたから慣れの問題かも。
パンタの続き。
おれが、この詩人の詩が好きな理由は、とんでもなく紋切り型や直截過ぎがある反面、あるフレーズがすさまじく印象的なときがあるからだ。それは、本当になにか鋭利なもので脳みそに残像を削り込むような感じだ。そういう場合、そこにあるメロディーが実に正しく聴こえる。
波に浮かぶ難民船。赤道直下。ノブのない扉。たとえ石になっても見届けたい。夜は星の王冠をかざし。君が狂わした鳩が飛び立っていく。飛び越せアスファルト。君の翼とペガサス。街の光が突き抜ける。破れかぶれが似合いのお前。退屈の次に嫌いな鏡。
つまり、マーラーズパーラー。
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