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おもしろそうだから、適当に拾い書き(途中で力尽きたので後半はいい加減)。というか、見れば良いわけだし。
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時間延長は学生に嫌われるので、キッチンタイマーメソッド(東京電力の番組に出てもらったとか)。
あれ(高校の授業すっとばしの話)、学生は可哀想じゃないよ。50時間ったって実際には40時間で十分じゃん。授業に出たって、他のこと考えたりするの当然じゃん。ってわけで教室にいるだけで授業に専念してるなんてないわけだ。
リアリズムに合わないな。
授業に専念するというフィクション。
僕は出席とらないことにしてるし。
非常勤に行ったら出席取れと学生に言われた。じゃあ、そうしてやるか。毎回出席してトンマなこと書いたりしたら、何してんだと。出席してないのはまあしょうないだろ。出席を厳しくとるということだったら、出席したやつには厳しく、してないやつには甘くするもんだ。
政治の時間と教育の時間は違うもんだ。今の空気の中で人気が出るのはなにか? ……タイプのことだから、多様性があっても良いわけで。人気がある教授は悪口言われる教授だ。
正しいこと教わったら賢くなるかといったら、そんなこたないね。わかりかたが軽くなる。わからんなりに楽しむ能力があるやつ、ありゃいいですな。
心に残る言葉はなにか? というインタビューがあった。河合隼雄の言葉で「ヤブこそ診断を急ぐ」ありゃ、名言だ。
診断を下せば、マニュアルがある。だから対処できる。クライアントも早く決めて欲しい。あの人は名医でズバリ決めてくれた、といわれる。永いことつきあうってのは、ヤブにはできない。早く決めれば安心できる。患者も安心できる、家族も安心できる。何やらわからんのは辛い。決めたがるのは、わからんでもない。
(ちょっと微妙な話題が始まる)
学校の先生の2つの問題は、頑張れですな。おれに任せておけ、と。あれは困るんですな。学校っていうのは、その依存が強まってますな。センター試験のころ、教育が政治の焦点だった。当時のあらゆる政党が自民党から共産党まで賛成した。僕は反対だった。国がやることだから。大体、時代にずれていると思った。当時の経団連とかのほうがちゃんとしたこと考えてた。あの頃、70年代、これから多様性の時代にどうカジを取るか? といってたころに、共通の基準を求めるとはなんのことか? というのが僕の反対理由だった。当時の大学の先生たちは賛成してた。日教組は社会党系と共産党系が争ってた。社会党系は変わり身が早いが、共産党系はそうじゃなかった。今、教育で歴史的にどういう問題があるか。戦後レジュームなんて、どうでも良い。多様化にどう舵を切るかだ。世の中同じ基準でやるというのはだめだ。そりゃ、不安だ。不安というのは時代によって変わるもんだが、フロイトのころはヒステリーとか言ってた。今はどうもボーダーライン症候群とか言うそうだ。ややこしいから、単一の基準が欲しい。これは良いこと、悪いこと、はっきりして欲しい、そういうのがボーダーライン症候群というそうだ。早く診断決めなきゃ安心できない。安心できなきゃ安全じゃない。ということらしい。
僕は安全のために大事なのは安心しないことだと思う。安全と安心は相反するから両方合っても良いのだけど。
だいたい、この数100年、徳川以降、戦国時代でごちゃごちゃして大変だったから1つにまとまらなきゃあかん、とやってきた。これが1つの歴史的イデオロギーになってた。その転換期なんじゃないか。室町、戦国時代は多様性の時代だ。そのかわりにややこしい。大変な時代だった。それがいやだと徳川、明治とまとまってやってきた。これからは、いろいろあって、ややこしくて難儀なもので、それを乗り切ってやってくのだ。ヤブじゃいかん。財界にも気のきいた人とだめな人がいる。気のきいた人は、全社一丸となってなんてことは言わん。大学はだめだね。本校みんな1つにまとまって、とすぐ言うんだな学長さんが。かなわんな。
70年代のころ、コンピュータをどう入れるかというのがあった。僕はコンピュータ音痴だけど、新物好きだから、MITのラボにいたパパートというのが来て、みんなで議論したんだが、僕とパパートの2人が孤立してね、ほかの先生は標準のカリキュラムを作ってそれを与えてとか言い出す。パパートは観光ガイド派と、プレイランド派の2種類があると言い出した。標準のカリキュラムってのは観光ガイドだと。ぞろぞろ連れて歩く。プレイランド派は、学生を公園まで連れて行き、それぞれ好き勝手に歩けと散会する。そこで学生が興味を持ったところでコンピュータに訊けばいろいろ教えてくれる。興味がなければ通り過ぎれば良い。
……学力の低下ってのは必ずいうけど、ありゃでたらめだな。僕の前後2〜3年というのは学徒動員だのなんだので勉強なんかできないから、最も学力が低下してたころだ。それでもどうにかなるもんだ。客観的に、戦後数年、それから全共闘、これが一番の学力低下だが、それでもおもろいやつ出てきてるしな。ハードの学力とソフトの学力。ハードってのは本とかきちんと読んで、まあ基礎学力ってやつだ。出版事情なんて戦後すぐのころはひどいもんだ。数学が積み上げなんてうそっぱちだね。積み上げてたら間に合わないよ。数学の本は尻から読むのが良い。知りたいところを知っておけば良い。基礎学力なしの勉強の仕方をしなきゃならん。あの本は第5章が良いと言われたら、第5章をいきなり読む。ちょっとわからなきゃ第4章から読む。ハードの学力がないからソフトの学力はついたかも。
(おもしろい話が続く)
ええかげんにやっているから、自分のやっていることに信念を持ったらいかん。ああ、あそこでええかげんにやったからまちがったんやな、と気付かなきゃいかん。地図もそうだ。ええかげんな地図でもないよりましだから、それで良くて、ただええかげんやから、あれこらおかしいと気付かなけりゃいかん。それはバランスだ。最近の学生さんは、そういうとき地図屋に文句をつけるんだが、それはおかしい。
多様性というのは、人がやらないことをやるということだ。ということは、うまくいかないこともある。多様性の教育になったらドブにはまるやつがいる。セーフティネットというのは、どういうセーフかということだ。どこを通っても良いがドブにはまったらそりゃ知らん。でも這い上がって電話をかければ救急車がピーポピーポ助けに来てくれる。それがセーフティネットだ。ハイリスクハイリターン。
(日本の)フリーターってのはあれはちょっとまずい。国によってはフリーのほうが金が高い。そりゃそうでしょ。将来保障しないんだから、今、金が出せる。人件費を抑えるためにフリーというのは、これはおかしい。
スケジュールがないと動けないってのは年取ってから困るよ。もう空白だらけだから。計画達成型じゃ老後はもたないよ。いろいろ混ぜるといいね。それはその時の風の流れだから。でも10年もすると風の流れは変わるよね。
スポーツ選手とかでもゆとりのないのは良くこける。ゆとりってのは、本来の能力を生かすためにあるんだよね。だいたいゆとりのある子のほうが試験に強い。距離感が取れるからね。ゆとりってのは学校へ行かないとかそういうことじゃないんだよね。
100年の時間は国家の時間。1つのレジム(regiumだと思ってた。eにはアクサンテギュがあるものとして)が100年くらい。
環境の多様性というのは様々な時間感覚のやつがお互いつじつま合わせてやっていくということだ。大学ってのもそんなほうが良いんだ。50年の文化の時間としては、そこの大学らしさになる、と。それを5年10年の政治や経営の時間で振り回されるのはいかんですな。
「人生の時間、歴史の時間」(融通無碍な題ですな)
追記:計画性について、20年単位に人生を区切るという考え方が(80近い人だけに)説得力があっておもしろかったのを思い出した。結構、あれも重要な点かも。
Crafさんの情報のおかげで、Vista問題が解決したので、リリース。しかし世の中は111というワナ。
で、上のワナですが、httpsやimapなどで安全にsslを使うのであれば、111を入手して、展開後のlib/ruby/net/* を110側へコピーして、かつ、脆弱性情報の記載にしたがって、チェックを有効にしてください。
なお、Crafさんからいただいた情報をどうASRに適用したかについて、Vista対応ASR作成メモにまとめたので、興味があれば参照してください。
ジェズイットを見習え |
私の情報は偶然見た@IT掲示板のポインタだけで、中身もあまり理解してなかったですが当たってたようで良かったです。<br>セットアップなんてXP出始めの頃にInstallShieldさわったきりですけど、.NET, Vistaとますますややこしくなってる感じですね。
おかげさまでうまくインストールできるようになりました。どうもありがとうございます。
よー要約しなはった。ありがとさん。<br>ちなみにビデオの冒頭司会しているのが私です。<br>森さんと「お互いネクタイなんかして…」と笑い合いました。
いやぁ実におもしろかったです。ビデオの公開、ありがとうございました。<br>ええ加減で構わないけど、それを自覚して間違えてるとわかったら軌道修正できるようにしろ、というのは良い教えだと思いました。<br>省略したけど、最後の、雑木林の中にいろいろな時間感覚の生物が共棲しているさま、というのは素敵な表現で、想像すると楽しいですね。