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Wiiフィットに慣れてきたもんで、バランスゲームのやり方をいろいろ考えるようになった。
特にバランスmiiとかいうシャボン玉の中で川を下るやつとか、滑降なのかな旗くぐるやつとか、ペンギンが魚食うやつとか、綱渡りとか。
このへん、どうも腕が邪魔になるので、ズボンのポケットに手をしまうようにしたら、なかなかいい感じだ。
で、やっているうちに、ふと気づいた。
バキ―NEW GRAPPLER BAKI (No.24) (少年チャンピオン・コミックス)(板垣 恵介)
龍書文だな。
このバカな2分法を見たのはいつごろだろうか? 多分、安価なデジタルウォッチってのが出てきたころだから、今を去ること30年くらい前だろうな。
論調としては、こんな対比
たとえば道を尋ねると
デジタル: XX銀行の角を右へ曲がって、花屋の左を曲がって、3番目の信号を……
アナログ:20メートルくらい行ったところを左のほうに3分くらい歩いて……
あるいは、デジタル時計ダメダメ説というのもあって、たしか、
瞬時に差を見ることができん。
というようなことだったような。だいたい、時計を見るときってのは、4時まであと何分だ? っていうようなのが多いから、アナログなら40分のところに長針があれば、120度=20分とわかるけど、デジタルだと、60-40=20とする必要があるから、というような主張のようだったが、バカか? と思った。思ったものの、そのとき、おれは瞬時に60-40=20はできるが、120度だから20分という見方をしていないことに気づき愕然として、以後、アナログの修行をすることにしたのであった。
そこで気づいたのは、この2分法はばかげてはいるけど、結構、おもしろく使えることであった。
たとえば、比喩。
アナログ人間は、情報の隙間を生める必要がある(何しろ連続性重要だから)。したがって、まず、比喩から得られるパターンというかフローを頭に描いてから、そこへ情報を埋め込み、理解する。
おれは、わりとこの思考方法が得意だ。パターン化して捕らえるってやつ。多分。修行の甲斐があったらしい。
デジタル人間は、情報の隙間を生めるものはノイズなのでそもそも見えないか、または、邪魔である。そのため思考がさまたげられ混乱してしまい、正しく認識できなくなる。そうではなくそのものの情報だけがあれば良い。(道順の説明でポイントとなるものを指すのと同じ)
なにしろ人間が違うんだから、前者は比喩(というか例え)があって、はじめて理解できる。後者は、比喩(というか例え)がなければ、はじめて理解できる。
ようは、人それぞれだってことだ。
これはおそらく、ポストマンの本にでてくる、学習過程から得た思考法なんだろうかな、と考える。学習の価値は、学習内容にあるのではなく、その学習を受けることによって得られた学習方法だというような説。
ポストマンは、だからテレビ教育は教育をエンターテインメントにしてしまうから、それを受けた人間の学習方法が断片的かつその場しのぎのものになってしまい、そうすると政治のように歴史的なコンテキストであったり継続的な論議が意味を持つ分野についての学習のさまたげになる(とは書いてないと思うけど、そういうような意味になると思う)と書いているわけであった。というか、彼の書き方が事例を積み上げて考察を加えるという、まるで諸子百家のようなものだから、そういう結論にはなるだろう。というか、最初のほうで、「この本を読まれるような諸君は……」と読者を共犯関係にしているし。
しゅわっち。
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