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子供用に使わせていたX31がどうも死んだらしい。
最近、妙にサスペンドからの復帰が遅いとか異常な感じではあったのが、Wiiテニスをしてとどめをさしてしまった(まあ、おれが電源コードにリモコンを引っかけたのが原因なわけだけど)。外傷はないけど、BIOS画面さえ出ないから中で何かが切れたのかな。
というわけで、アップルの電源コネクタはいいね、と。
裏ぶた開けて、メモリーを抜き差ししたら復活した。
さて、はるぴんの本であるが、1つの大きな発見があった。
哈爾浜(はるぴん)の都市計画 (ちくま学芸文庫)(越沢 明)
内容が内容なので、しょっちゅう、都邑計画書であるとか、都市条例であるとかの法令が引用される。場合によっては全文引用もある。
コレラハ全テ漢字片仮名混リ文ニテ書カレテイル。
読めねぇ。
というわけで、最初はスキップしてしまおうと思ったわけだが(これまでも帝国憲法とかを「勉強するとき以外」はそうやって済ませていたらしい)、論議はこれらの法令を軸に進むため、読まないとさっぱり理解できないことに気づく。何かおもしろいことはすべて法令にある。
しょうがないな、と腹を括って読み始めると、(当たり前だが)読める。法律的な言い回しの平仮名の部分を片仮名にしているだけだから読めないわけがない。
というわけで、どうも漢字+平仮名を「読む」のと、漢字+片仮名を「読む」のでは、同じ読むのでも異なる読むであったようだ。
前者は読んでいるのではなく見ているだけらしい。見ただけで自然に読みとれている(高速に単語を抽出し、文節に区切る。字句解析器をコマンドレベルでなく、read(バッファ転送)時点で完了させているという意味)から「読める」。後者は見慣れていないため、見ても「読めない」。ツマリ、読ム(明示的ニ字句解析器ノ起動ヲ要スル)必要ガアルト云ウ事ニ思イ至レリ。
まあ、いろいろ読んでみると発見があっておもしろい。
そこで、この「読む」という行動のあり方から、ひとつの仮説をもった。
世の中には、本を読まない人がいるが、彼らは、おそらく「読む(明示的な字句解析器の起動)」必要があるために、読まないのではなかろうか(文盲ではないわけだから)。
であれば、それはかったるかったり、面倒だったり、つまらなかったり(字句解析器を実行した後で、あらためて文意をとるという作業が必要になるわけだから、少なくとも1ステップ余分な作業が必要となり、それは当然負荷となる)するのは当然かも知れない。
ではなぜおれは平仮名+漢字をDMA転送時点で字句解析まで完了できるのだろうか? って、それは慣れということだろう。実際、はるぴん本の最後のあたりでは、特に意識しなくても漢字+片仮名文を読めるようになっていたからだ(にも、関わらず上のエントリを読みなおすと、やはり漢字+片仮名の部分では引っかかる。テンポラリな字句解析機構つき転送バッファが作られただけで、すぐに引っ込んでしまったらしい)。
(というか、英文を読むのも同じようなことは言えるね)
頻繁に実行する、継続して実行するってことは重要だな、という素朴な結論。
ジェズイットを見習え |
確かにカタカナがはいると読みにくいですね。とはいえ少なくとも明治の頃はそれが普通だったようにも思うわけで、つまり慣れということなのでしょうか。天地がさかさまに見えるめがねをかけて生活しているとやがてそれに慣れてしまう(脳も体も心も?)というのに似ているのかも。
そんな感じなんでしょうね(明治の頃といっても、小説などは平仮名だったようなので、文書の種類によって使い分けていたということでしょうけど)。