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こないだ、同僚と飯食っていたら、安土桃山に信長が城を建てさせる映画がどうとか言い出したので、何わけわからないこと言ってんだ、安土は安土、桃山は桃山、織田と豊臣、合わせて安土桃山だ。当然、信長の城は安土城で桃山なんて一切関係ない、と切って捨てた。つまり、安土桃山っていう呼び方は、魏晋南北朝という呼び方と同じ歴史の括り方と同じような政権による一つの時代を指す言葉であって、魏晋南北朝城がないように、安土桃山城なんてばかげたものは存在しない。
で、それからしばらくして、びっくり。地下鉄の駅にでっかなポスターが出ていて、安土桃山に城(安土桃山城)を建てるのがどうたらとか書いてある。
あれ、おれは間違っていたのか(良くあることだし)と、とりあえず、翌日そいつには済まん、と謝っておいたがやはり釈然としない。
この点に関しては、Wikipediaの項目を書いたのはおれかというくらいおれの認識と同じだ。少なくとも2人の人間がそういう認識であり、そういう認識に至った資料を読んでいるのだ。
多分、城の映画の広告を作った連中が無知の涙だろうとは思う。まあ、どうでもいいけど、安土に桃山という山があり、そこに城を建てたら安土桃山城という発想なんだろうなぁ。で、安土に桃山っていう山はあるのかね。ちなみに、安土の姉妹都市はリゴレットでおなじみのマントヴァ公国のマントヴァらしい。どちらも素敵な殿様である。
ジェズイットを見習え |
安土山に建てたから安土城らしいので、まったくの勘違いなんでしょうね。<br><br>伏見桃山城(コンクリート製)を毎日みて育った身としては複雑な気持ちです。ちなみに伏見城本丸は現在、明治天皇陵です。
お、実は明治天皇陵ってどこにあるのか不思議だったのですよ(神社がどこにあるかは知ってますが、そこは墓ではないし)。なんと大阪だったんですか。<br>それにしても、でしょうねぇ。>複雑な気持ち
伏見は京都市伏見区でございます。
あ、そうか。お稲荷さんとかの伏見ですね。秀吉の城=大阪と短絡してしまいましたよ。
随分前のスレに今更って感じですが、戦国バカな俺です。今はどうあれ、当時は桃山城なんて存在しません。秀吉の居城伏見城です。あれこれ戦国本を読み、どれに書いてあったか忘れましたが、そもそも、桃山って云う地名は江戸時代に入って家光が、祖父家康や、父秀忠、諸大名には思い入れのある城かもしれないが、自分には何の思い入れももない。と云うことで伏見城を取り壊させたそうです。それではあまりに豊臣家が哀れだと、跡地に桃の木をたくさん植えたことが桃山と云う地名の始まりであって、安土桃山時代っていう言い方自体間違っているとのことでした。それを云うなら安土伏見時代だということでした。
↑補足です。桃の木を植えたのは近所の住民だったようです。
おー、そういう経緯があるのですか。どうもありがとうございます。そこで伏見ではなく歴史的には間違った名前が出てくるのには、豊臣から政権を簒奪した徳川に対する何らかの考慮があったとかあるんですかねぇ。もし安土桃山時代という言い方が維新後なら単なる勘違いだけど、江戸時代からであれば桃ノ木を植えた近所の人と同じ心情からだとか。
一方、usaさんから、こういうツッコミあり。 https://twitter.com/unak/status/229012493891162112
その後、ネットで調べてみました。家光の将軍宣下まで伏見城を残したのであり、その後、家光令(一国一城令)によって取り壊されたようです。桃山文化ってありますから、やはり江戸時代ですね。そりゃそうと、戦国期後半の大名をはじめとする戦人って、戦に遠路あるばる狩りだされ、大変ってゆうかタフですなぁ~足軽、雑兵なんて考えただけでゾッとします話~
↑桃山文化は江戸時代ではありませんが、秀吉の時代の文化を桃山文化と言われるようになったのかな・・・難しいY