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なぜか、本屋で目に付いたので、ルワンダ中央銀行総裁の思い出話を買って読み始めた。
はるか昔のことである。革命した大統領がいて、植民地時代の官僚やら、外国からやってきた顧問だとかがいる。
問題点として2重の為替の存在があり、切り下げをして一本化すべきか、そうすべきではないか、と諸説乱れとび、当たり前だがそれぞれの主張は言っている側の利益にかなうことである。
そこで赴任したての中央銀行総裁は各所から意見を聞いている。それぞれ自分勝手なことを喚き立てては去っていくのでうんざりしているところに大統領からお呼びがかかる。大統領は実際問題として途方に暮れているのだ。
では、大統領、あなたはこの国をどうしたいのか? 急激な発展を望むのか、それとも地味だが恒常的な発展を望むのか、それによって採るべき技術は異なる。技術は政治を実現するためにあるのだから、大統領、あなたがどのように国を導きたいのか、まずそれをお聞かせ願いたい。
その問いかけに対する回答が素晴らしく、なぜか心に響く。
私は革命、独立以来、ただルワンダの山々に住んでいるルワンダ人の自由と幸福を願ってきたし、独立ルワンダにおいては、ルワンダ人が昨日より今日の生活が豊かになり、今日よりは明日の生活がよくなる希望がもて、さらには自分よりも自分の子供が豊かな生活ができるという期待をもてるようにしたいと考えている。私の考えているルワンダ人とは官吏などキガリに住む一部の人ではない。ルワンダの山々に住むルワンダの大衆なのである。
なぜ、おれはこの言葉にいささかの感動を覚えたのだろうか。
おそらく、それが建前であったとしても、「自分よりも自分の子供が豊かな生活ができるという期待」という箇所が特に大きいように思える。希望というものは、つまりは、一代限りのものではなく永遠に増幅していくものなのであろう。であれば、そもそも子供が減りつつある国家というものは、それだけで、すでにして希望の総量が減りつつあるということであり、絶望と虚無に侵食されつつあるということかも知れない。
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