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妻がツタヤで借りたので一緒に観た。寝るなよ。
おれはクリント人だから手紙が届けばもちろん最初から最後まで括目して観ているのだが、今の風潮だと無理筋になってしまった映画技法を好き勝手に使っているので置いてけぼりな観客がいっぱい出てきて興業的に失敗して映画を作れなくなるんじゃないかと心配になる。
あの状況でトラックにそれまで登場していない人物が2人出てきて、わざわざ台詞付きで停車して外に出れば、見つけるものを見つけるために決まっているだろう。ぷんぷん(観ている間に何かやり取りがあったらしい)
その一方、おれは色恋には疎すぎるらしく、昼飯か晩飯を必ず一緒に取ること、というのは自分抜きでミーティングするな=おれに対する排除の相談をするなという政治的な安全保障についての条件付けかと思ったら、随分後になって妻の直観のほうが遥かに正しかったことがわかる手を握るシーンがさらっと出てくるとか(念のため、それからさらに後で決定的なシーンを入れているが)。
過去と未来の行き来の自在さや、御しやすかったルーズベルトをベランダから観るシーンと、同じ匂いを嗅ぎつける予兆を感じさせるニクソンをベランダから観るシーンの対比とか(で、その間にどれだけのパレードを観ているんだ、このおっさんは、と大統領を見下ろす立場というものの継続時間を明示しているわけで、しびれまくる)。
見下ろすうんぬんの後、右腕となる人物の面接シーンで、山ほど内容を盛り込むうまさとか(あまりにも多いために、どれかにひっかかるだけで印象的なシーンとなり、相手の重要度が強調されまくる)。
運動をしているところをわざわざ見せる演出(時間は決まっているのだから、最初から腰かけて待っていても良いわけなので、当然、それは演出だということを映画で演出している)に始まって、これからきっちりとした会話を行うということを示すために窓を閉め、見下ろす云々からつながった肉体的な引け目を隠すための上げ底をちらりと映して、しかし着席を勧めそこなって腰かけた自分が見下ろされることになり、さらに窓を開けられてしまう(ペースが壊される)。そうか。ハンカチで汗を拭くまでの一連の流れで、運命的な出会いと示しまくっているのであったなぁ(と、後になって気付く)。
母親にタバコをたしなめ、そうじゃないと重責にやられるぞ、と忠告されるシーンがわざわざ入るところは、時代性を示すのが目的じゃないだろうなぁとか想像したり。
伝記作家との会話で、主人公にとってどれだけリンドバーグが憧れだったかが示された後で、誘拐事件の話に入るので、リンドバーグ法の設立が目的ではなく、リンドバーグに認められたいってことがどうやら目的のようだと匂わせるのもうまいなぁ。
ジェームズキャグニー(小男だ)が民衆の敵からGメン(この映画は知らないけど、アンタッチャブルのハシリなのだろう)になるところは、主人公の体格についての引け目と何かシンクロさせているのかな、と思ったけどそれはわからない。
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しかし、粛清されなかったところ、つまり死に方が大きく異なるが、途中からベリヤのアメリカ版だなぁという強い印象が湧いてくるのがちょっと不思議。
エマゴールドマンの追放が出来過ぎていて、これは史実に基づいているのか? というのも不思議な点。労働省とうまく協力関係を築くために労働運動に強い影響力を持つ(アナルコサンジカリストだと思ったが良くわからない)エマゴールドマンを国外追放するために裁判が行われ、そこで回答に対する拒否戦術を取ったことを逆手にとって追放するという流れだが。
で、エマゴールドマンと言えば大逆事件もそうだが何と言っても伊藤野枝だし、その流れで行けばフーバーに相当するのは甘粕大尉になるわけだが、かたや追放、かたや殴殺(最終的には絞殺らしいが)と、始末のつけかたがえらく違うなぁとか、そのあたりの詰めの甘さ(かたや政治的条件としての狙い撃ち、かたや天災を奇貨としての単なる抹殺)がその後の人生を変えたのかなぁとか、単純に太平洋戦争に勝った側と負けた側の違いというだけかも、とかいろいろ考え事のネタになっておもしろかった。
そう言えば出会いのシーンで褒めた服屋で服を買うシーン(つけを溜めている同名の別人がいることとサインを示すこと)はなんなのだろう? JのほうではなくEのほうをフルに使うことにする契機と設定しているのかな。
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