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先日、よく昼飯を食う小料理屋で味噌汁を呑んで、おやと思った。
何か白くて平たくて、適度に歯ごたえがあって、妙においしいものが具になっていたからだ。
はて、これ昔は良く食った覚えがあるような、ないような、少なくともここ10年以上食ったことないような。
で、考えているうちに、かんぴょうという言葉が出てきた。
でも、記憶のかんぴょうは、茶色くて海苔巻に入っていた。だがさらに思い出すと、スーパーとかで白い紐状で売っているパッケージを見た覚えが出てきた。
(今でも現役の食材らしい。味噌汁の具としては長ネギ、油揚げ、なめこに次ぐうまさ。)
そういえば、子供のころ、つまり1960年代には、寿司というのは、
・かんぴょうの海苔巻
・鉄火巻き(少し)
・かっぱ巻き
・こはだ(酢締め)
・青柳
・まぐろの赤味
・たこ(ゆでたやつ)
・えび(ゆでたやつ)
・卵焼き
が普通だった。
今は相当違うはずで、こはだ、青柳はなく(うまいんだけど)、たこもえびも生で、まぐろはトロだったりする。何よりもかんぴょうが無い。なんでかんぴょうはなくなったのかなぁ。たぶん、もっとうまいものを入れられるようになったからだろうなぁ(あるいはもっとうまくはなくても、コストがかからないものを入れられるようになったからかも)
と考えているうちに、つくづくと、東名高速の開通によって(1968年以降漸次)トラックによる運輸革命が起きたこと(によって、静岡から新鮮な魚が大量に入るようになり、酢でしめたり、茹でたりしなくても、生の魚が食えるようになった)、一方、公害と埋め立てによって東京湾の三浦半島より東京寄りが死滅したこと(青柳なんて普通に浦安あたりで採れていたはずが、そもそも浜辺がなくなってしまった。で、思い出したが小学低学年の夏の遠足は船橋に潮干狩りだった。全員、浅利を山盛りにとってきたのだが、N君というやつだけがなぜかハマグリを掘り当ててえらくうらやましかった)によって、食い物が変わったなぁと感慨にふける。
そういえば、以前トロをうめぇなぁとか気分よく食ってたら、妻が、「けっ、粋じゃねぇおやじだな。江戸っ子はトロとか畑の肥やしにしてたんだぜ」とかくだらないことを言ってくさしてきたことがあった。
ふむ、とちょっと考えてみて、それがばかげた言いぐさだということにすぐに気づいた。
まず、江戸時代だといっても、マグロは江戸前では採れない。お江戸に一番近いあたりでも、銚子あたりの外房になるはずだ。
であれば、銚子からお江戸に運んでくるあいだに、トロのように油の多い部位は間違いなく腐る(冷凍技術もなければ、冷蔵技術もなく、物流の主役は船か荷車(人力)で、外房からお江戸には速くても半日以上かかる)。そりゃ、粋もへったくれもなく、肥料にしかなるはずがない。
っていうか、ああいうでっかな魚を江戸まで運ぶとしたら、せいぜい赤味の醤油漬けが良いところだろう。
もし、江戸っ子がトロを食わないという記録があったとしたら、それは粋がどうしたとかいう問題ではなく、食い物として流通できなかったからだ。トロを肥料にしたという記録が仮に存在したとして、まったく当時の技術水準を想像できない愚かものが、テレビか何かで知ったかこいたのを、お前さんは額面通り受け取っただけだろ、くだらん、と返したが、そういえばサバの生きぐされというのも過去の言葉になったなぁ。
だいたい、ウナギのかば焼きをもりもり食って、サンマの油がのりまくっているのを食えない殿様をネタに目黒のサンマなんていう話を作り出す江戸の人たちがトロのうまさを理解できないはずがありえない。やつらに、食わせてやりたかったぜ。
かんぴょうって、おれの知識では夕顔か何かのつるなのだが、どうも完璧に間違っているようだ。
アマゾンでかんぴょうを検索したら、削り器が出てきた。
遠藤商事 皮むき器 かんぴょう鉋(カンナ) BKV7901(-)
最初からつる状だったら、削り器があるはずがない。ということは、へちまみたいなものなのかな? まったくわからん。
(で、さらに検索する)
びっくりした。ヒョウタンの一種なのか!
……夕顔まではあっていて、それがつる草なのもあっているが、その時点で=つるを食うと短絡してしまったようだ(きっと、夏休みの朝顔観察でつるが伸びるのを見ていて、夕顔が朝顔みたいな植物だということを知っていたので納得してしまったのだろう)。びっくりだよ。
ジェズイットを見習え |
すでに分かってしまっているようではありますが。<br>ろくろ状の機械にとりつけて表面の皮をまずとって、その後中心までいかない状態のよい部分だけを回しつつピーラーみたいな道具でシューッと削っていきます。中心部分は使わないようです。
なるほど。それでカンナなんですね。