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こんな小話がある。商店街の通りのそれぞれの端に豆腐屋がある。お互いに相手を意識しているのは当然だ。ある日、片方の豆腐屋の店主が看板を出した。「通りで一番おいしい豆腐」 ――豆腐の味はそれほど違うものではないので(相当昔の小話なので、どちらの豆腐屋も自家製豆腐を売っているのが前提だ)、なんとなく、そちらに客が寄り付くようになった。当然、もう一方の店主はおもしろくない。そこで対抗して看板を出した。「東京で一番おいしい豆腐」おおそうか、というわけで客はそちらに流れるようになった。元の店主、当然おもしろくない。そこで看板を出す。「日ノ本で一番おいしい豆腐」――おおそうか、というわけで客はそちらに流れるようになった。相手も負けじと、「東洋で一番おいしい豆腐」――おおそうか、というわけで客はそちらに流れるようになった。そこで「世界で一番おいしい豆腐」と出すのは元の店主。おおそうか、というわけで客はそちらに流れるようになった。ついに、相手の店主は最近知った(明治か大正のころのお話かなぁ)言葉を引っ張り出した。「宇宙で一番おいしい豆腐」――おおそうか、というわけで客はそちらに流れるようになった。くそー、と元の店主、自分が始めたくだらない看板合戦だけに、敗北感はひとしおだ。が、ふと気づく。とっくのとうに片づけた最初の看板を引っ張り出す。「通りで一番おいしい豆腐」――おおそうか、というわけで客はそちらに流れるようになった。
泉鏡花の夜叉ヶ池の原文(青空文庫Kindleがあった)を読み、そんな小話を思い出した。
というのは、オペラでいまひとつ納得がいかない点があったので、原作ではどう描写されているのだろうかと、気になったからだ。
この話は、1913年つまり第一次世界大戦の前年、大正2年の作品だが、実に強力きわまりない愛についての物語であった。あと、15年後に書いていたら、ちょっとまずかったろうと感じる内容だ。
ここには、3つの愛について語られる。最初の2つは準主役の坊主、山沢学円が語る。
最初に「夫婦仲睦く、一生埋木となるまでも、鐘楼を守るにおいては、自分も心を傷つけず、何等世間に害がない。」
という、男女の愛について語る。
が、村人たちは承知しない。ついに、神主がこの謎の男を誰何する。
「藪から坊主が何を吐ぬかす。」(こういう、地口(ここでは「藪から棒」の「ぼう」で「坊主」を掛けている。このタイプには「何で有馬の人形筆」とか、「後の祭りの笛太鼓」とかいろいろある)の美しい用例が、明治大正の頃の日本語には多々出てきて、実に楽しいが、それは余談だ)
それに対して山沢が答える台詞が実に秀逸だ。
「いかにも坊主じゃ、本願寺派の坊主で、そして、文学士、京都大学の教授じゃ。山沢学円と云うものです。名告るのも恥入りますが、この国は真宗門徒信仰の淵源地じゃ。諸君のなかには同じ宗門のよしみで、同情を下さる方もあろうかと思うて云います。(教員に)君は学校の先生か、同一教育家じゃ。他人でない、扱うてくれたまえ。(神官に)貴方も教えの道は御親類。(村長に)村長さんの声名にもお縋り申す。……(力士に)な、天下の力士は侠客じゃ、男立と見受けました。……何分願います、雨乞の犠牲はお許しを頼む。」
これが、博愛(友愛というと何か悪いもののようになってしまったので、博愛と訳し直す)の本義だ。
かくして「これがために一同しばらくためらう。」
同じ宗教、あるいは同じ職業、あるいは同じ倫理観、(村長と力士については一見すると異なるが、プライドは自己の尊厳を愛するから保持できるものなので、意味は変わらない)を持つものが共有する意識によって生死に関わる問題に対処することだ。そこには共通の信念があり、最終的にはその信念を未来に繋げる事こそが希望だという感覚がある。この信念をミームと言うのだろう。
ということで、大正初年には、博愛感覚があったことは間違いない。
が、ここに別の愛が出てくる。
代議士(実業家)の穴隈鉱蔵だ。
「いやしくも国のためには、妻子を刺殺さしころして、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。且つ我が国の精神じゃ、すなわち武士道じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽つくすのじゃ。我が国のために尽すのじゃ。」
つまり、「愛国」というやつだ。
これは不思議なことだ。フランスは「自由、平等、愛国」ではなく「自由、平等、博愛」を理念とする。意味は同じことに見えるが、表現がなぜ異なるのか。
それは、意味が同じではないからだ。博愛のために人は生命を賭すことはできるが、国のためにはそんなことはできない。それで三銃士は国王つまりはフランスのために命を賭けるが、国王のために!とも国のために!とも言わず、一人はみんなのために! と叫ぶ。旅の仲間はそれぞれの国、民族、世界のために旅をするが、そうは言わずに、フロドのために!と誓う。
というわけで、穴隈は「俺なぞは、鉱蔵は、村はもとよりここに居るただこの人民蒼生のためというにも、何時でも生命を棄てるぞ。」といった舌のねも乾かぬうちに、「死ね、民のために汝死ね。見事に死んだら、俺も死んで、それから百合を渡してやる」という晃の申し入れに対して「ひょこひょこと退る」のだった。国のためには死ねないよな。正しい行動だぞ穴隈。その後の晃の台詞にあるように、愛国というのは金銭の問題だからだ。確かに国家の役割は富の再分配に過ぎない。そんな機関はどうでも良い。
なんと大正初年度から、愛国を語る人間は博愛を持たない、つまり信用できないし、命を賭して他人のために戦うこともないということを泉鏡花は表現していたのだった。
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