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嘘つきアーニャの真っ赤な真実 という本を、例のKindle30%祭りの時、上位に入っていたのと、題名のヘンテコさと、確か以前byflowで信頼できそうな読書人達が持っていたのを見たのとで、購入して、病気で寝込んでいる間に読んだ。えらくおもしろくて、気付いたら読了していた。
筆者の女性(故人)をこれまで知らずに来たのは残念なくらいに、おもしろかった。
3つの作品が収録されている。
すべてフレームワークは同じだ。
著者はローティンの頃、それは1960年代前半だが、共産党員の父がチェコの国際共産党系通信社に派遣されたために一緒に移住して、その地のソヴィエト学校に通うことになり、その学校で知り合った同級生の女の子(とその家族)との友達付き合いと学校生活が描かれる。
このパートは常に新鮮な発見があっておもしろい。
そして日本へ帰国する。
最初は文通をしているが、彼女自身が日本の学校生活、受験、などなどの日常に溶け込み、向うも向うで何かがあり、そして音信が途絶える。
次に、ソヴィエト連邦が瓦解して東欧が混乱している時代に、再訪し、再会し、現況が語られる。
同じフレームが3回語られることで、歴史上の異なるディティールが明らかになり(たとえば、プラハの春に対するワルシャ条約同盟による圧殺であったり、核兵拡散禁止条約をめぐる中ソ対立と日共のスタンスによるプラハでの彼女の回りの状況変化だったり、友人の本国--彼女と同様に、各作品で選ばれた一人の女の子の父親は他国から派遣されている--の状況変化、つまりルーマニアにおけるチャウシェスク政権の誕生)、同じソ連瓦解後の各国の情勢だ。
最初の作品の主人公(は常に作者なので対象となる女の子を以下、主人公と呼ぶ)は、ギリシャ軍政から亡命して来たギリシャ人。主人公はあまり勉強はできない。そのため、学校の先生たちはすぐに過去の人物を持ち出して嘆く。数学の先生であれば「あー、ユークリッドが……」、物理の先生であれば「あー、アルキメデスの……」、文学の先生であれば「ソフォクレスの……」という具合だ(今、思い出しながら書いているので引用はすべて不正確だ。固有名詞も保証できない。ソフォクレスではなくエウリピデスの可能性もある)。
再会すると、彼女は西(ではなく統一だが)ドイツはオペルの企業城下町で医者になっている。繁盛している。ドイツは移民の国だ。トルコ人、ギリシャ人、みんな、同じく浅黒くオリーブの眼をした主人公を頼っている。
しかし、家族はばらばらになっている。いろいろあったのだ。特に、父親が、プラハの春に対するソ連の侵攻に抗議の声を挙げたのは致命的だった。通信社をクビになった。しかし、チェコの人たちはだからこそ彼女たちを大切にしてくれる。しかしソ連原理主義者も当然、存在する……。
2番目の作品の主人公はルーマニア人。印象的なのは彼女の兄だ。ソ連学校の優秀極まりない先生たち(ほとんどが女性だということは最初の作品で説明されている)の中でとりわけ人民英雄的な扱いを受けている物理の先生の授業が確かに英雄的に素晴らしい。彼女が説明し実験させると、生徒はすべて、物理のとりこになる。その中でも特に彼女の魅力に取りつかれてしまったのが兄貴だ。というわけで、チャウシェスクが反ソ連に舵をきったため、一家はルーマニアへ戻ることになるのだが、兄貴だけはチェコへ残り、物理の勉強を続ける(この先生の授業を受けられなくなるなんてそんなもったいないことできるはずがないじゃないか!)。
ここで描かれるソ連学校の授業システムの話も興味深い。ノートは正方形に近く、必ず綴じ目から30%程度の位置に線を引き、子供は70%部に記述をする。教師は30%部に添削したり、いろいろする。土日は休みなので宿題は出ない(出してはいけない)ので生徒も先生も勉強せずに休む。したがって宿題は月曜から木曜まで。みっちり出る。ということは先生方も火曜から金曜までは子供が帰ったあとにみっちり添削をやり続けることになるのだろうなぁとか。でも土日は休み。筆者が夏休みの宿題をなれない外国語でうまくやれるかと心配していると、クラスメートが驚く。なんで夏休みに宿題が出るの? 休みだよ。というわけで、休みにはみんなで旅行へ行く。
ルーマニア人の主人公の家族の生活を見ていて著者は共産主義のおかしなところに気付く。自分の父の実家(太平洋戦争中というか、治安維持法施行下の日本で地下活動をしていたのが、戦後、やっと帰れることになった)の豪華さにびっくりする。つまり、金持ちの子息が平等のためにせっかくの良い身分を捨てるものだと思っていたのに、著者の実家以上の金持ち生活をしているからだ。もっとも、主人公の父親もファシスト政権時代には投獄され、拷問され、そのため片脚を失っている。だからといってなぜ貴族(平等な社会を作るために無くしたはずなのに)のような生活ができるのか? と不思議に感じる。
それはチャウシェスク処刑以降も変わらない。チャウシェスクのパリ化計画の途中で放棄されたため半ば廃墟と化したブカレストの中心街から離れた郊外の高級アパートで多数の警備兵に守られて暮らす主人公の両親。しかし、主人公はイギリスでイギリス人と結婚して暮らしている。ブカレストの街を案内してくれる通訳と話しているうちに、ユダヤ人差別についてわかってくる。さらに研究者として普通の市民の生活をしている兄貴と再開する。研究者はユダヤ人ばかりだから、この中にいる限りは差別はないけど……というような会話。
そして最後がユーゴスラヴィアだ。
僕自身がユーゴスラヴィアにはいろいろ思い入れがあるため、この作品が一番心に残る。
共産党による中央集権計画経済ではなく、工場単位の自主管理による計画経済(おそらく、プラハの春でオタ・シクが目指したのも、ポーランドの連帯が目指したのも、ユーゴスラヴィア方式のはずだった)を導入したために、ソ連の敵となり、しかし共産主義である以上は米国の敵であり、結果的に第三世界をまとめてその代表として他の国へ自主管理社会主義を輸出するはずが、超大国中国がソ連と敵対したために第三世界の代表に収まってしまい、(ということは、自主管理社会主義を積極採用する国家は続かず)、さらにチトーなきあと5大統領制へ移行した途端に、仲の良かった兄弟に甘い言葉をささやく悪魔が近づき、気付くと国家は分裂して激烈な内戦が始まっていて、互いに民族浄化といって成人男子は殺し、成人女子は犯し、子供の男の子は去勢するという、それが20世紀のヨーロッパなのか? という状態となり、なぜか同じことをやり合っているのに、片方の側にアメリカとNATOがついてもう片方に無差別空爆を繰り返し(主人公のおばさんが爆撃で死ぬ)、最も混乱状態に突入する。ところで、チトーが死んだあとの分裂っぷりは、アレキサンダー大王亡きあとのマケドニアの分裂っぷりみたいだ。
にもかかわらず、ブカレスクから列車に乗りベオグラードへ着くと、その豊かさに目を見張ることになる。
しかしなかなか主人公を見つけることはできない。そのうち、おそるべきことがわかる。主人公の父親、対ドイツレジスタンスの英雄でもある、はユーゴスラヴィアがユーゴスラヴィアだった時代のボスニアの大統領で、つまりは現在最も内戦が激しい国なのだ。
筆者はボスニアへ行こうとする。ばかを言うなと通訳に一喝される。国境は封鎖されているし、そもそも国境が危ない。先日もムスリム人の難民が200人ほどクロアチア人に襲撃されて大人の男は皆殺し(以下メニュー通り)。救助活動が大変だった。しかもあんたはどう見てもクロアチア人ではない。
最終的には他の作品同様に筆者は主人公に邂逅する。彼女はベオグラードの普通の団地に住んでいる。なぜ? と、筆者はルーマニアの友人の家を思い出して聞く。なぜもなにも、最初から私の家はここよ。父親が大統領だからってなんで子供が優遇されるの?
でも、彼女の生活は必ずしも幸福なわけではない。ムスリム人だからだ。表だっては言われないが(なぜならクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナが出ていったとはいえ、ベオグラードはユーゴスラヴィア共和国なので差別は基本的にはない)、それでも非セルビア人に対する圧力がかかっているのがわかるからだ。夫はモンテネグロ人。兄弟の中で一番チビなので、たった198cmしかない。
3篇の順序がうまい。最初のギリシャ人はインテリな父親。次のルーマニア人は政府高官、最後のユーゴスラヴィアは少数民族の大統領(にまで上る人)。最初のギリシャは軍政から民政移管がされた資本主義の国、次のルーマニアは極度の鎖国的スターリン主義の国、最後のユーゴスラヴィアは自主管理社会主義国家。最初のギリシャ人の夫、次のルーマニア人の夫、最後のユーゴスラヴィア人の夫、それぞれうまく対比がある。どこまで実話でどこからが創作なのか、実にうまい。
ユーゴスラヴィア篇の主人公の父親が語るレジスタンスへ身を投じるきっかけとなった教師とのエピソードはユーゴスラヴィアの作家の作品を元にしたらしいが、20世紀の終わり頃に作られたスペインの反ファシスト闘争映画にも同じような主題のものがあったなぁと思った。子供を守るため、国家に命を張って歯向う教師というのは普遍的なのかな? で、自国の勝者の立場から見れば、敗者の側に立って殺される教師は非国民だが、他国のより妥当な政治的立場の人間から見ればむしろ愛国心の固まり(なぜなら国家の未来である子供を守ろうとしているわけだから)であり、感動的な物語の主役である。これは矛盾ではなく、前者の見方がおかしい。であるならば、国家の強制に対して、それが強制である以上、断固たる拒否の態度を貫く教師というのは、国民が最も信頼すべきものではないか。
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僕も読みました。Kindleでね。もちろん面白かったですよ。